エピローグ

放課後の夕暮れ時、また菅野とカフェ「マーチヘア」に来ていた。

今回は俺が計画したわけでなく、菅野から誘われたのだ。

前回よりも少し客も少なく、静かな雰囲気が漂っていた。

二人で席に座り注文をするなり、この会合の意図を聞く。

「何だよ、急に呼び出して」

「いや、修学旅行の計画を考えようと思って」

少しピンと来た。

数日前に、二人は揃って修学旅行の実行員になったばかりだ。

「まだ一ヶ月もあるじゃないか」

「色々と決めることも多いだろう」

「相変わらずだな」

この数週間の間で、菅野の責任感の強さと盛り上げようとする意志の強さを思い知らされている。

どうせ、彼女は何も考えずに皆が楽しめる修学旅行にするプランを一緒に考えようと思っているに違いない。

恋愛相談が終了した時点で、接点が減る事で途方に暮れていた俺にとっては渡りに舟な話だった。

そんな状況下なので、もちろん断る理由はなかった。

「ところで、長谷部って…」

「何だよ?」

話の途中で硬直する彼女は、言い出す事を迷っているようだった。

俺は体制を立て直して、自分を落ち着けるように水の入ったグラスを口元に運ぶ。

「好きな女の子とかいないのか?」

修学旅行と何ら関係ない話題に、口に含んでいた水を吹き出しそうになる。

「い、いきなり、何の話題だ?」

「いや、別に…なんとなく」

変にとぼける菅野を怪しく思うが、何となく意図を察する。

彼女もまた恋のキューピットにでもなって、恩を返そうとしているのかもしれない。

「好きな人はいないよ」

その発言に彼女の表情が明るくなる。

 

「…でも恋愛をする気もないけど」

が、勿論定型文も口する。

彼女が途端に落ち込んだ顔になる。

しかし、下手な希望は持たせたくない。

実際、恋愛をしたくないのは事実なのだから。

「何で、長谷部は恋愛をしたくないのだ?」

それでも、負けじと食らい下がって来る。

しかし、その簡単な質問に何故か即答できなかった。

適当にはぐらかすことを、菅野に対してしてはいけない気になったのだ。

「また、いつか話す…」

今は何故か、この話をしたくなかった。

この話は関係者を除けば、沢城にだけ話した事がある。

よく分からない感覚への戸惑いを隠すように、窓の外に顔を向けた。

こちらの様子に菅野は、嬉しそうに笑う。

「そういえば、亜希がつぐみちゃんに会いに行ったんだって」

「平野さんが?」

まったく別の話題でビックリしたが、朗報だ。

「それで、この前指が動いたんだって」

つぐみの容態は、事前に聞いていた。

ずっと指一つ動かさずに、ただ眠り続けているだけだと。

重度のストレスだとか、色々な説はあっても本当の原因は不明らしい。

「早く良くなるといいな」

菅野が安らいだ笑顔で語る。

俺が「そうだな」と言葉を切ると、心地よい静寂が暫し続き、菅野の携帯が鳴る。

「母さんからだ…」とディスプレイの画面を確認して、彼女は席を立つ。

店の入口で電話をしているのが、遠くからだが少し分かる。

オーバーリアクションで電話の相手に会話する彼女を見て、小さく笑ってしまう。

「意外と可愛い所もあるんだな…とか思っているな」

気づけば向かいの席には、自称、死神が座っていた。

相変わらずの黒ずくめの格好に、いつもより深く被った帽子に表情が読みにくい。

「勝手に人の脳内を脚色するな」

「今回は残念だったな」

「そんな簡単に上手くいくとは思っていないさ」

冷静を保っているが、上から目線の発言に苛立ちを覚えていた。

「懸命だ…だが、余裕ぶってもいられないんじゃないか?」

「ああ、もう3ヶ月しかないからな」

3ヶ月というタイムリミットを自分で口にして実感させられる。

早くも1ヶ月が経過しようとしている。

すぐに恋愛という糸口を見つけたものの、それも成果を出せずフリダシに戻されている。

「しかし、あそこで彼女が告白しなければ可能性は、まだあったんじゃないのか?」

「そういう問題じゃないだろう」

敢えて話題に出さずにいた事を、モトは引き出してくる。

今でもモトの意見は正しいとさえ思っている。

それでも、俺は自分の行動に後悔はしていなかった。

「見す見す自分が、生きられる可能性を削らなくても良いんじゃないか?」

「それでも、あいつには前を向いてほしかったんだよ」

舞台後、菅野が告白すると言い出した時に、慎重になることも考えた。

でも、そこで自分を偽っても仕方がないと思った。

自分の事を信じてくれようとしている、その気持ちに応えようとすると言葉が積み上げられていた。

そんな時、つぐみの言葉が頭を過る。

―――仲良しになりたいなら相手が幸せになれる、笑顔になれる事を考えてごらん―――

結局、死神の言うようにするのが正しいか、自分の方が正しいかなんて、問題ではなかった。

彼女がどうしたいか、それが一番大切なことだと気付かされた。

そんな当たり前の事すら、わからなくなっていた。

「彼女の恋愛を尊重した…か…」

小さく「ああ…」と返事をして、俺は視線を落とす。

もちろん自己満足という言い方が正しいが、たとえ嫌われたままでも菅野に真実を話して、彼女が望む道を後押ししただろう。

「それに本当に幸せにするなら、そんな薄っぺらいものじゃないと思う」

「薄っぺらいもので自分を偽ってきた、そんな君が言っても説得力を感じないけどな」

痛いところをついてくる。

そうだ、俺も自分を偽っている事に変わりはない。

「君は本当に生き返りたいのか?」

モトの皮肉にも反論はできなかった。

「人は生きる為に、誰かの想いを、願いを、希望を、夢を、未来を、喜びを、幸せを犠牲にしなくちゃいけいこともあるんだ。他人の自己満足の為に死ぬ気か?」

「だけど、俺はあいつを…菅野を幸せにしないといけないんだろう」

モトは表情を変える。

「人の幸せなんてそれぞれでも、痛みを引きずって歩いても心から笑えないんじゃないかって…そう思うんだ」

「ただの憶測だろう」

俺の言葉に、面白くなさそうにモトはそっぽを向く。

たとえモトに愛想を尽かされても、もう答えを出していた。

つぐみの言葉通り、菅野が笑顔でいられる未来を考えた結果だった。

「それが綺麗事だって、分かっているのか?」

今度はハッキリと、「ああ…」と少し笑って返事をする。

つまらなさそうに、モトは立ち上がり捨て台詞を吐く。

「3ヶ月後、条件を満たせなかった場合に、同じ台詞を口に出来るか楽しみにしているよ」

瞬きをする間に、モトは目の前から消えていた。

まるで見ていたかのように、タイミング良く菅野が戻ってくる。

「帰りに調味料買ってきてくれだって…」

申し訳無さそうに笑って誤魔化す。

1ヶ月過ぎて、確かにフリダシに戻った。でも、菅野とこうやって笑って過ごしている事だけは、大きな成果だと思う。

次の戦略は、もちろん考えていない。

でも、彼女に最初にする質問は考えていた。

「幸せって何だと思う?」