戸惑い

それからの時間をあまり覚えていない。

近くのイタリアンの店に入って三人で食事をして、気付けば帰りの電車の中だった。

電車の中で菅野から、携帯電話にメッセージが届く。

―――今日はありがとう、日高君と話せて楽しかったよ

しかし、そのメッセージに返す言葉が思いつかなかった。

ただ残酷な事実だけが、彼に絶望的な未来を連想させた。

事実を話すという選択肢を考えたが、どう話すべきかを悩んでいるうちに家に着いてしまっていた。

二人が付き合っているという事実だけで充分に衝撃的なのに、生き返る可能性が低くなったという文字通り死活問題まで降り掛かってきている。

日高に彼女が出来てしまうという事は危惧していたが、まさかその相手がダークホースである戸松だということだ。

結局、朝まで整理できないまま、翌日の昼休みまで頭を抱えていた。

寝不足と悩み過ぎで、フラフラになりながら生徒指導質に足を運んでいた。

部屋の主である沢城は、ドアを開けた涼平を見るなりに不思議そうな顔をする。

「珍しいな、呼んでもいないのに」

「ちょっと気分が悪いんで、休ませてください」

許可の返事も聞かずに部屋に入ると、フラフラした足取りでソファに横になる。

ソファの冷たさが気持ちよく感じる。

「休むなら、保健室で休め」

「…すいません」

「体調不良ではないのか、どうしたんだ?」

「複雑な心境なんです」

曖昧な返事をする俺に、沢城は溜め息を零す。

「ここにいるなら、理由くらい話せ」

「凄く嬉しい事なのに、深い絶望を同時に味合わされているような感覚なんです」

そうだ、二人が付き合い始めた事は、大手を振っていいくらいに嬉しい事だった。

二人はお互いの事をよく知っているし、なにより親友と呼べる人間が二人同時に幸せになったのだ。それが嬉しくない訳が無い。

しかし、自分が生き返る術を一つ失ったという絶望を同時に味合わされたのだ。

「日高と戸松のことか?」

沢城の言葉に飛び起きる。

何故、その情報をこの人が知っているのか。

「何で、先生がそれを知っているんですか?」

「やはり、あの二人は付き合っているのか」

俺の反応に沢城は、ニヤニヤ笑顔を見せる。

やられた。

そこで、彼女が自分にかまをかけていると気付く。

「高を括りましたね」

「それで、戸松を取られて絶望していると…」

しかし、今度は突拍子もない予想発言が飛び出してくる。

「何で俺が戸松を取られて、ショックを受けなきゃならんのです?」

「あれ、お前が戸松を好きだという未確認情報があるのだが…」

「どこからのガセネタですか…」

すぐ男女が一緒にいれば、好きだの嫌いだのと結びつける連中だろうが、沢城がそう思う根拠が分からなかった。

「君は戸松以外の女子と話さないだろう」

しかし、意外と単純な理由だった。

だが、確かに今年になって菅野を除けば、戸松以外の女子と事務的な内容ではない会話をした記憶がほとんどない。

「それは、あいつが幼なじみで話しやすいだけです…恋愛対象に見た事は一度もありませんよ」

「その幼なじみ二人が切る、幸福スタートダッシュの何が気に入らないんだ?」

「その事実は凄く嬉しいんです」

「嬉しいのに、何でそんなテンションなんだ?」

「だから複雑なんですよ」

敢えて誤摩化す表現をする。

一度死んで生き返る術を失ったんです!

なんて言っても流石に信じてもらえないだろう。

「誰かが幸せになれば、みんなが幸せになるとは限らないでしょう」

「君はやたら面倒な事に、首を突っ込んでいるみたいだな」

察しが良くて助かった。

彼女は今の一言で、親友のどちらが幸せになれば不幸になる相手の肩入れをしている事を見抜いたのだろう。

「どちらにせよ、お前の意思ではどうにもならないんだろう?」

それにちゃんと現段階の状況を、目を逸らさずに投げかけてくれる。

そうだ、自分の意思ではどうする事も出来ない。

これは日高の意思だ。

今更、日高自身の恋愛に対する気持ちを確認していなかった事を悔やんだところで、何も変わらない。

「そういや、最近お前は、やたら菅野とも一緒にいるよな…」

そして、沢城という人間は余計に鋭かった。

名推理も良いところだ。

事件になるとすぐ「あれれ〜」と言い出す小さな探偵が、机の下に隠れて要るんじゃないのかとすら思う。

しかも、菅野とは学校ではそこまで話していない。

どこから漏れたのだろうか。

多分、戸松あたりから情報が漏洩しているようだ。

昼食程度では、この程度の口止めが限界だろう。

とりあえず、ここはまだ誤摩化すべきだ。

「それは生徒会に興味があって…」

「前向きになってくれたのか?」

よりによって『生徒会』という単語を沢城の前で出してしまった。

つい戸松の時と同じ言い訳を使ってしまった。

忘れていたが、沢城は生徒会に勧誘している悪の親玉だった。

しかし、ここで嘘だと言うと話が戻ってしまう。

「いや、少し興味が出てきたと言うか、なんと言うか…」

「生徒会に入るということでいいのだな?」

「え、いや…まだ入るとは」

「明日、水樹には私から言っておくよ」

まったく俺の意見など聞く耳を持ってもらえないようだ。

もう彼女の中では、生徒会に入る事が確定してしまったらしい。

「それともお前が戸松にフラレて、傷心だって噂流してやろうか…教師の情報網舐めるなよ」

恐ろしい一言を投げかけてくる。

暗に拒否権が無い事を示している。

彼女が教師という職業が『聖職者』と言われている事に疑問を抱く。

「それを脅迫だって言うんですよ」

「人聞きの悪い事を言うな…私だって人間だ、間違った情報を誤って流してしまう事だってあるさ」

彼女は『間違った』と『誤って』の部分だけ強調して、笑顔で話している。

これが過失であるなら、世の中の悪意は全部が過失になるんじゃないかと、不安になる。

「明日の放課後、時間空けておいてくれよ」

心の底からこう思う。

―――もうどうにでもなれ。