だけど、少年の願いは叶う事はない 肆

智が眠っている墓地は東山から近く、電車と徒歩で二十分もかからなかった。

その間、菅野はただ黙って俺の横を歩いてくれていt。

すっかり辺りも薄暗くなっていた。

墓地までの道のりを歩き、入り口が見えて来たときに後ろから声をかけられる。

「りょう…へいくん?」

俺らは振り返り、その相手を見る。

そこには四十代後半くらいの女性が、大きなバックを持って立っていた。

俺はその女性を知っていた。

「おばさん」

智の母親だった。

彼女は俺が、長谷部涼平本人だと分かり、優しい笑顔を向けてくれる。

「久しぶりね、元気そうで」

俺は予期せぬ事態に「ええ」とだけ、答えて固まってしまう。

何を言ったら良いのか、どうしたらいいのか、それが脳内で駆け巡る。

「智さんのお母さんですか?」

菅野が先に口を開く。

「え、はい…えっと」

智の母親は急な質問に困惑したように、彼女は誰かと俺に視線で聞いてくる。

「彼女は俺のクラスメイトです」

「菅野雪乃と言います、はじめまして」

そう言って、菅野は深々と御辞儀をする。

「はじめまして」

対応に困ったように、智の母親も会釈をする。

「今日は、智さんのお墓参りに来ました」

更に菅野は要件を話して行く。

その言葉に、智の母親は驚いた表情をした後、少しして俺を見てくる。

その後の言葉が怖かった。

来る資格などないと、罵声でも浴びせられるだろうか。

「ありがとう」

そう言って、彼女は笑顔になる。

予想と違う反応に、俺は菅野を見る。その視線に、ただ彼女は笑って返す。

「場所も分からないだろうから…」

そのまま智の母親に誘導されるように、俺らは後ろを付いていく。

墓地は広く、多くの墓石が並んでいた。

何も考えていなかったが、この中から探していたら凄く時間がかかっていただろう。

少し歩くと、『今井』と書かれた墓石の前で俺らは立ち止まる。

「線香はなくてごめんね」と、智の母親は苦笑いをして俺らを墓前に促す。

俺と菅野は、墓前に座り込んだ。

その瞬間、俺は実感させられる。

智は死んだのだ、と。

葬式の時に、嫌という程に実感させられた。

しかし、当時はまるで夢の様に思えて、居なくなった事実だけを突きつけられた。

だけど、墓前に来るとその時より、やけにリアルに『死』を実感させられる。

菅野はスッと手を合わせて、瞳を閉じる。

俺も駄目って同じ素振りをする。

少しすると、智の母親が話しかけてくる。

「まだ時間ある?」

俺らは目を開けて振り返る。

その返事をしないまま、彼女は「ここじゃんなんだから、家に来ない?」と続けた。

 

 

拒否する間もなく、俺らは今井家に招かれる。

少し歩いた住宅地にあるマンション、その六階に今は住んでいた。

玄関を開くと部屋数も多く、3LDKだろうか。

廊下の奥の明かりが点いた部屋に、智の母親はパタパタと歩いて先に入っていく。

それに続いて、俺らは小さな声で「お邪魔します」と言いながら続く。

ドアを開くと、そこには十二畳ほどのリビングが広がっていた。

ソファに誰かが座っていて、野球中継がテレビで流れていた。

「あなた」

母親は、そこにいた人物に声をかける。

智の父親が、ソファに座っていた。

「そこで偶然お会いしてね」

母親の言葉に反応するように彼は振り返り、俺を見ると驚いたようにスッと立ち上がる。

「涼平君…なのか?」

フラフラと俺らの元に歩いてくる。

最後に会った時よりも、少し白髪も増えて窶れたように見えた。

「ご無沙汰しています」

「久しぶりだな」

萎縮してしまう俺を気遣うように、「さ、楽にしてね」と母親がリビングの机にお茶を置く。

菅野は俺より先に反応して、「すいません、気を遣ってもらって」と、俺に椅子に座るように促す。

その途中でリビングの端に飾られた写真立てに、智の止まったままの笑顔が目に入る。

俺と菅野が並んで腰を下ろすと、向かいに智の父親が座る。

手には冷蔵庫から出して来たと思われる缶ビールを持っている。

差し出されるのを、「まだ未成年なんで」と断ると、少し寂しそうに引っ込める。

「少し大人っぽくなったんじゃないか?」

「そうですか?」

自分の事は分からなかったが、明らかに彼は変わっていた。

どちらかというと、ハッキリと物を言うタイプだったと記憶していたが、今の彼は少し穏やかな印象がある。

「そちらは…」

彼が目線を俺の隣に向ける。

「あ、長谷部君のクラスメイトの菅野雪乃と言います」

菅野が反射的に挨拶する。

俺は彼女に不用意に連れて来た事を後悔する。

智の家族からしたら、彼女は完全な部外者だ。

「すいません」

「何で謝るんだ?」

「えっと…」と、俺は言葉を選ぼうとする。

何と紹介するべきか迷っていると、急に彼の表情が柔らかくなる。

「そういう事だろう?」

どういうことか、分からなかった。

が、次の言葉でその意味に気付く。

「君には幸せになってほしいからな…」

どう反論するか悩んでいると、菅野も思考が停止したように無反応になる。

目を丸くして、照れているようにも見えるが、それよりも俺は誤解を解くことにする。

「違います、彼女は友人で…」

「そうなのかい」

何故か残念そうにする彼に、その理由を聞く事はできなかった。

「でも、彼女のおかげで智の墓参りに来れました…」

何故、菅野がいる理由はこれだと思った。

彼女のおかげで俺は此処にいる。

俺の言葉に彼は、「そうか」と納得したように頷く。

「涼平君が、来てくれて本当に嬉しいわ」

智の父親の隣に、母親が自分の分のお茶を持って来て座る。

彼らはただ何も言わず、笑顔で俺の顔を見てる。

「あの…」

そう切り出そうとした瞬間、智の父親は先程までは打って変わって神妙な表情をして、こう告げる。

「君には謝ろうと思っていたんだ」

今の言葉の意味を理解出来なかった。

謝る?俺に?

何を自分に謝ろうとしているか、理解出来ないでいると、彼はそのまま続ける。

「あの時、智の事を君に押し付けてしまった…私たちは親として、あの子の支えになれないで、それを君に全て任せてしまった」

「いえ、僕は何も…」

「ただいま」

ドアが重く開き閉まる音と共に、女の子の声が入り口から届く。

誰かが反応する間もなく、その声の主はパタパタとこちらに入ってくる。

「誰かお客さん?」

そう言って、彼女はリビングの扉を開ける。

「葉月ちゃん」

そこには学校帰りの葉月がいた。

鞄を二つ、学生鞄と部活用であろう大きな鞄を背負っていた。

彼女は無言のままで、「なんでコイツが此処にいるの?」と表情で語っている。

「な、なんで…」

「葉月、おかえりなさい」

葉月が心中を言葉にする間もなく、母親が挨拶をする。

その声に反応するでもなく、彼女は自分の感情を吐き出そうとする。

「お母さん、何でこの人が…」

「智のお墓に来てくれていたのよ」

母親の言葉に、彼女の顔が強ばっていく。

「墓参りに来る資格があると思っているの?」

それは怒りに満ちた声だった。

それを俺は否定する事も肯定する事も出来ずに、ただ視線を逃がしてしまう。

「葉月、いい加減にしなさい!」

父親が声を荒げて彼女を叱るが、彼女の憤りは治まること無く、二つの鞄を床に落とすと低い声で話し始める。

「父さんも、悔しくないの?」

両手には握りこぶしを作っている。

「この人がお姉ちゃんに手術を勧めていなければ、お姉ちゃんはもっと生きていれたかもしれないんだよ?」

「それは違う…我々が涼平君に、智の支えになるように頼んだんだ」

「だけど、この人がいなければ、お姉ちゃんは無理をする事はなかった」

「元々、智は長くなかった…」

「そんな事、分からないでしょ」

抑止する父親の言葉を振り払うように、彼女は俺を責める理由を並べる。

何一つ発言することが出来なかった。

擁護してくれる父親の気持ちは嬉しかったが、葉月の言い分も俺は受け止めなければ行けないと思った。

「この人が現れてからお姉ちゃんは無理してでもピアノ教室行く様になったし、この人がお姉ちゃんの傍に居なければ…」

「いい加減にしろ!」

バンっと、俺の隣で机を大きく叩く音が聞こえる。

「菅野?」

皆が俺の隣に目を向けると、そこには菅野が立ち上がって葉月を睨みつけている。

「お前が言っているのは、ただの自分が寂しい理由を涼平のせいにしているだけじゃないか」

菅野の言葉に気圧されて、葉月は怖がりながら「この人は?」と俺に聞いてくる。

「こいつのクラスメイトの菅野だ」

俺が答える前に、勝手に自己紹介してしまう。間違ってはいないが。

「は、新しい彼女でも連れて来たの…どういう神経しているの?」

「こいつは彼女じゃない」

皮肉まじりの葉月の言葉に、一生懸命否定をする。

この状況はまずい。そう確信する。

菅野が恋人でなくても、葉月が第三者に口を出されて良い気分がするわけがない。

「じゃあ、部外者は黙っていてもらえますか?」

「ああ、黙っているつもりだった…だけど、お前の言い分を聞いていて、腹が立ってきた」

そう言って、菅野は葉月に近寄って行く。

女性の中でも比較的大きい身長の菅野が近付いたせいか、葉月が小さく見える。

威圧されているように、彼女はそのまま一歩後ろに下がる。

「なによ?」

「お前は、こいつのせいにして、お姉さんが死んだ後悔から目を背けたいだけじゃないか」

「なっ…何、意味を分からない事を言っているの?」

「直接、お姉さんの選択に賛成も反対もしていたのは、結局涼平だけじゃないか」

菅野は智の両親にも視線を散蒔く。

彼らは視線を落としてしまう。

「お前は、自分が止めなかった事や後悔を全部、他人のせいにしたいだけだ」

「そんな事ないわ!」

葉月の言葉が今にも脆く崩れそうなに震えていた。

様々な感情を言葉にできないせいか、菅野の威圧感に萎縮してか、理由は分からなかった。

「だったら、何で一度はコイツに頼ろうとしたんだ?」

そう言われて、葉月は目を広げて、もう一歩後退る。

「お姉さんに反発することもできないくせに、何でも他人のせいにしてんな」

「当時を知らないくせに知った口を…」

「ああ、知らないね」

畳み掛けるように菅野は、葉月の言葉を遮り続ける。

「でも、こいつがどれくらい悩んで苦しんで来たかは知っている」

そんな彼女は、大きく胸を張って俺を一度見てこう答える。

その姿は、自信にも満ちているようで、その言葉に不謹慎ながら胸を打たれる。

「こいつは自分が智さんを失った悲しみと、お前や智さんの家族への謝罪の気持ちで潰されそうなんだよ」

「涼平君、本当かい?」

智の父親が、俺に真偽を確かめてくる。

どう答えるか悩んだが、ここで嘘をついたり取り繕っても無意味だと思わされた。

傍若無人に振る舞うクラスメイトに感化されたのだろうか、素直に俺は言葉にする。

「そんな大層なものではありません…僕は智の家族から智と過ごす時間を奪ったのですから」

「当たり前よ、あんたは一生自分を責めて生きればいいんだわ」

葉月は俺を責め立てる。

「葉月、黙ってなさい!」

「お父さん…」

今の葉月の表情は絶望で歪んでいた。

両親が自分の敵になってしまった、そんな裏切られた悲しみに支配された表情をしている。

「何で、お父さんやお母さんは、この人を恨まないの」

今度は父親に詰め寄る葉月に、彼女の父親は無視するように俺に話しかける。

「涼平君、君に渡したいものがあるんだ」

「ねえ、お父さん」

「葉月も見ておきなさい」

縋るような娘に言い聞かせるようにすると、彼は妻に目線で会話をする。

それに頷いて、母親は奥の棚から一冊のノートを持ってくる。

少し厚みがあるそれは、以前見たことがあるものだった。

それを俺は手渡され、じっくり見回す。

「これは…」

「智の日記帳だ」

「一度、見た事があります」

「読んでみてくれないか」

父親は真剣な表情を確認すると、俺はそっとページを開いていく。

最初のページは、以前に目を通したような内容だった。

誰にも真実を告げられずに、智が恐怖と向き合うまでが書かれていた。

しかし、それは俺が智と一緒に居る事を選んだ日、彼女が真実を知る事になった日記のページになる。

勿論、俺はこのページは初見で、向きなうのが辛くなるが読み進める事にする。

 

 

九月二十日

今日も涼平が来てくれた。

付き合い始めて、手を繋ぐだけで彼は照れてしまうけど、それだけで幸せを感じられるのは私も同じだ。

もう少しだけ、もう少しだけ彼と一緒に居たい。

今日は席替えの話をしてくれた。涼平の隣の席に、クラスのマドンナ的存在の秋山さんだと聞いて、今すぐにでも学校に行きたくなった。

 

 

九月二十三日

今日は、先生から病状が悪化しているとハッキリ言われた。

でも、涼平と香澄が遊びに来てくれて、今日は調理実習で作った芋料理について教えてくれた。

相変わらず香澄の料理は独創的。

お腹を抱えて笑えて来て、何もかもちっぽけな事だと思えて来た。

 

 

十月一日

手術する事にきっと涼平は不安なんだと思う。

だけど、私は涼平と生きたいと願った。

私が今の幸せを、もっと幸せにしたいための我侭。

だけど失敗したら、涼平はきっと自分を責めるかもしれない。

涼平には幸せになってほしい、だからそうなっても責めないでほしい。

私に幸せをくれた人だから。

 

 

十月十日

手術も近付いて来た。

今日は涼平と病院を抜け出した。

涼平に再度、手術をするかと確認されたけど、即答してやった。

だっけ私は今までも幸せで、これからも幸せになりたいから手術する。

お父さんにもお母さんと葉月と涼平と、みんなで笑って過ごしたい。

それだけが私の願い。

その為に私は手術をする。

本当を言うと、凄く怖かった。

だけど、涼平という凄く大切な人が傍に居てくれると言ってくれて、この人と一緒に高校に行って笑って過ごせる日常が欲しいと願ってしまった。

ここで立ち止まったら、きっと後悔する。

 

 

十月十五日

手術はきっと成功していないと思う。

悔しい。

 

 

最後の辺りは、所心字が崩れている。

「術後はペンが上手に持てなくて、その後は昏睡状態になったりしたから」

智の母親は俺の隣に立って、笑いかけてくる。

そこで俺の視界が潤んでいる事に気付く。

飛ばし飛ばしではあるが、彼女はきっと幸せになりたかったのだ。

だからこそ幸せになるためには、失敗する確率が高い手術を受ける必要があったのだ。

俺と目を合わせた母親は次のページを捲って、そこに書かれた一言のメッセージを読むように訴えかける。

 

涼平が幸せに笑っていられますように。

 

その文字は幼稚園児が書いたように、読み解くのも難しかったが、そう書かれていた。

「くっ…」と、声を押し殺して溢れ出る感情と涙を堪える。

そして、肩をポンッと叩かれて振り返ると、智の父親も優しい顔で頷く。

「涼平君、私は君には感謝しかしていない…君は智の支えになり、誰よりも智を大切に想ってくれた人なのだから」

「母親として、私は傍にいただけだったわ。でも涼平君のおかげで、智は最後まで笑えたと想う」

「笑って?」

「ええ、私しかいなかったけど、『あーあ、駄目だったか』って」

「智らしいですね」

本当に彼女らしい。

智はきっと失敗した事が悔しかったのだろう。

でも手術した事に関しては、きっと悔やんでいないのだろう。

「そうよ、涼平君がいたから、智は智らしく生きていけたの」

「父として、感謝さえすれど、君を責める事など一つもない」

俺は声にならない返事をする。

その様子を見て、一人だけ震えて睨んでいる人物がいた。

「な、なによそれ…二人とも、何でそうなるの?」

葉月は、両親と俺に嫌悪感を剥き出しにする。

「お前は自分の事ばかり考えているからだよ」

彼女の言葉に、すんなりと菅野が口を挟む。

それに反応して葉月は直様に、目を見開いて怒りの矛先を菅野に向ける。

「そ、それの何が悪いの?」

「人を、家族を愛するって事は、その人の幸せを自分の幸せより優先できることだと、私は思う」

「私が、お姉ちゃんの幸せを望んでなかった、と?」

「ああ、葉月ちゃんはさっきから自分の寂しさを、涼平のせいにして、智さんの望んだことを一つも考えてないじゃないか」

「そんな事ない!」

後退る葉月を、菅野はジリジリを追いつめるように言い寄る。

その菅野の真剣な表情に対して、葉月の表情が崩れて行く。

菅野にではなく現実に怯えるように、一歩一歩後ろに下がる。

「じゃあ、何でお姉さんの話をしないんだ?」

その一言で葉月の足も止まる。

そして、頬に涙が流れると彼女が崩れ落ちて俯く。

「私だって、お姉ちゃんの事大好きだったんだ…本気で長く一緒に居たかったの。お姉ちゃんが死んだ時に、寂しくて…お父さんたちも辛そうだから、こんな家族の状態ににしたのは、涼平さんだって…そう思って」

「辛いのがお前や両親だけだと、思っているのか?」

ハッとしたように葉月は顔を上げると、菅野の顔を真っすぐに見る。

「そうやって、お前は自分と同じ苦しみを持った人間に、自分の感情をぶつけて八つ当たりして、その重みを涼平に背負わせていただけだ」

「じゃあ、私の後悔はどうすれば…いいの…わああああああああああ」

そう言って、とうとう葉月は泣き叫ぶ。

彼女もきっと辛い事を吐き出す事しか、姉を失った悲しみに向かう術が無かったのだ。

簡単な事なのだろう。

きっと彼女も心の何処かで分かっていたのだ。

ただ自分の辛さを理解出来て、姉の一番身近で手術をすることを同意した人間のせいにしても、姉が選んだ選択も亡くなった事実も変わりはしない事を。

そんな誰かのせいにすれば心が少し楽になると思っていたのだろう。

「葉月、すまなかった…私はお前の苦しさに気付いてやれなかった」

父親が泣き崩れる葉月を抱きかかえる。

それから半時間ほど、彼女は立ち上がれずにいた。