だけど、少年の願いは叶う事はない 参

それから俺らは川を上がって、急いで旅館に戻る。

戸松たちは何も言わず、俺を止める事も無かった。

旅館に戻ると、「着替えたら、玄関に集合」と言い残して菅野は戸松と急いで部屋に戻って行った。

彼女の行動力には驚かされる。

制服は日高が部屋の暖房で何とか乾かしてくれると言うので、私服に着替えてロビーの済みに座る。

時計は六時前を示していた。

この時間から出ると、きっと就寝前になる可能性が高い。

夕飯食べられないな、とか変な事に気が回っていると、横に女性が座ったのに気付く。

「長谷部じゃないか?」

「沢城…先生」

よく見ると、沢城だった。

「何だ、その顔は?」

「いえ、別に…」

沢城は、いつもと少し違って女性らしい服装をしている。

シンプルではあるが、パステルカラーのスカートに白のパーカーを着ている。

普段はシックなカラーで、いかにも機能性で選んだような服装が多い傾向にある。

「いや、そんな明らかに『げ、今一番会いたくない相手に、見つかってしまった』みたいな顔しやがって」

「先生はエスパーですか?」

「今度は大阪湾に沈めてやろうか?」

「『今度』って…」

その言葉で、さっきまでの出来事を知っている事が読み取れる。

沢城に見つかってしまったことに、絶望を感じる。

どうやって逃げるのか、それを脳内で試行錯誤する。

「経緯は菅野から聞いているよ」

こちらの思考を読まれたように、先に答えを告げられる。

「何だ、その『よりによって、コイツに話しやがって』という顔は…」

「そんな顔していませんよ…ははははは」

乾いた笑いを態とらしく出してみる。

「そんな棒読みで言われてもな…」

皮肉なので、当然の反応である。

菅野の言っていた『私に任せて』とは、この事だと気付く。

沢城に協力を仰げば、この時間からの外出も何とかしてくれるだろう。

「それで?」

「な、何がですか?」

「前に進む決心は、ついたのか?」

彼女は改めて問う。

高校一年の時、沢城には智との事を話した。

彼女は俺が何かを抱えていると察して、俺に聞いてきた。

それからだ。彼女が俺を執拗に構うようになったのは。

その彼女が、俺に今問いかける。

過去を過去とするのか、と。

「正直分かりません」

「それでも、行くのか?」

「行かないと、何も始まらないと思いますので」

今から智の墓参りに行って、何かが変わるわけでもない。

だが、確かに俺は受け入れないといけない。

「そうか」

「君は、理屈っぽく考えすぎる節がある。だからこそ、周囲をよく見えているし、他人の変化に敏感でもあるのは長所だと思う」

「そうですか? あまり意識した事がないですけど」

まるで子供に語りかける親の様に、沢城は俺に穏やかな口調で続ける。

「ただそれでも見えていないものもある」

「それは、何ですか?」

「君自身だよ」

彼女はハッキリと答える。

「俺自身ですか?」

「君は君自身が周囲にどう映っているかは鈍感だ」

「変態根暗ピアニストですかね?」

「だいたい合っている」

――――否定しないんだ。

「君は君がどれだけ周りから信頼されて、大切に想われているかを知らないのだよ」

彼女は言う。

自己犠牲の裏で、自分を想ってくれている人々が居るんだ、と。

「知らないフリをしている…というのが、近いかもしれないな」

「知っていますよ」

「いや、君は自分を犠牲にしてしまえば、解決すると勘違いしているからな」

「間違ってはいないと思いますけど」

さっき菅野に言われて、その点は否定出来なかった。

自分が犠牲になれば、誰も苦しまなくて済むのではないかと思っていた。

「どうして、そう思う」

「皆が幸せになるなんて綺麗事でしょう…だったら、結局誰かが貧乏くじを引かなくちゃ行けない」

そうだ、全員が幸せになる方法があるのなら、今頃世界はもっと平和だろう。

争いも憎しみも生まれないだろう。

「だったら、『自分が損すれば良い』と?」

「ええ、悲劇のヒーローになりたいわけじゃないですけど、最後は誰でも妥協しないといけないんですよ」

「君は屁理屈が多いな…しかし、君は誤解している」

溜め息を零して、彼女は言う。

さっきまでの穏やかな口調も一変して、今では少し説教をされている気分になる。

「君が大切にしたいのは、君の周囲の人たちだろう?」

「ええ、勿論、沢城先生も入っていますよ」

「そんな冗談は良い」

割と本気だったのだが、今の彼女には通じないらしい。

「君が不幸になれば、君の周囲の人はそれだけで傷つく事を忘れていないか?」

「それは…」

さっきまでの菅野の表情が、脳裏を横切る。

「君は優しすぎる。それでは、他の誰かが傷ついてしまうかもしれない…大切な人の為を想うからこそ、自分も幸せになろうと思い、多少の不条理も受け入れて人は前に進めるのではないか」

菅野も、沢城も俺に言いたいのだろう。

幸せになって良いんだよ。

でも自責の念と彼女たちの言葉が入り交じって、胸の奥が苦しくなる。

「今さっき、君が言ったんじゃないか…『結局誰かが、苦しむ事になる』と…それが事実だとしても、それで君が傷ついて良い理由にならないんじゃないか?」

「俺は…どうすれば…」

「会って、ちゃんとお別れを言いたいんだろう?」

沢城がニヤニヤして告げる。

その意図を理解した途端、俺の顔が熱くなる。

「な、何でそれを…」

「青春だね」

「見ていたんですか?」

さっき菅野に聞いたと言っていたが、本当は彼女は俺らの会話を聞いていたのだ。

戸松たちにも見られていたのに、何故かとても恥ずかしくなった。

「川に飛び込ませても、彼女は君に気付かせたかったんだよ」

「盗み見とは趣味が悪いですね」

「人聞きが悪いな…担任として、生徒たちの動向を監督していたんだ」

それを盗み見という、と言う気すら起きなかった。

こう言う時に、沢城という教師が食えない人物だと思わされる。

「でも、君はもう答えが出ているんだろう?」

「菅野は、君が君自身を傷つけて逃げているのが苦しかったんだ。戸松も日高も、お前が前を向いて欲しいんだよ」

「分かっています」

そう答えるしか無かった。

「何で、お前の前の彼女が最後に自分らしくいたかったと思う?」

「え…えっと…分かりません」

沢城の質問の意味が分からなかった。

困惑している俺を他所に、彼女は旅館の出入り口の方向を向く。

それに釣られて、俺もその方向に視線を向けと、そこには菅野が私服に着替えて小さく手を振っている。

「それを確かめて来い」

「ありがとうございます」

俺は立ち上がり、沢城が通り過ぎる間際に「消灯までには戻って来いよ」と見送りの言葉をくれる。

それに「はい」とだけ答えて、俺は小走りで菅野の元に行く。