だけど、少年の願いは叶う事はない 弐

そのまま俺は、戸松たちに「先に戻っている」とメールを送って、単身で集合場所に戻った。

みんなと合流して会話を出来たのには、旅館に戻った後だった。

途中で急に居なくなって不自然だったと思うが、俺は体調が悪くなったと下手な言い訳をする。

特に菅野とは気まずいままだったが、今の俺には何も彼女に伝える事ができなかった。

そのまま解散し、各自の部屋に戻る時に後ろから「リョウ」と呼ばれる。

「戸松か…」

振り返ると、少し不機嫌そうな戸松が腕を組んで立っていた。

「誰だったら良かったんだ?」

明らかに不機嫌な理由は、見当がつく。

このまま長い説教に付き合えるほど、今の俺は頑丈ではなかった。

ここは冗談で切り抜けようと思う。

「親友同士が、付き合っている事を隠していた奴以外」

「り、リョウって意外としつこいな」

少し萎縮する彼女を見て、笑いが込み上げてくる。

お互いに和やかな空気が流れる、彼女がそこで笑顔になる。

作戦成功…だと思われた。

「大丈夫か?」

急に声のトーンを変えて、彼女が心配してくる。

俺は戸惑ってしまい、「別に…」と誤摩化す。

「ごめん、雪乃と悠木さんに智との事を話しちゃった」

彼女の言葉に静止する。

智の事を、とうとう菅野に知られてしまった。

戸松と仲良くなった時点で、何れ知られてしまうと予想はしていた。

ショックだったが、この成り行きを作ったのは自分だ。

だからこそ、俺は「そうか」とだけ小さく返事をする。

「リョウは後悔しているの?」

――――後悔。

そんな感情なのか。

あの日、俺は智に手術をする意思を確認し、彼女の望むようにした。

しかし、本当にそれが正しかったのか?

これは後悔ではないが、選択をした人間の責任なのかもしれない。

しかし、この感情を言葉にする事はできずにいた。

少し考えて、俺はこう説明する。

「ただあの時に手術を止めていたら…なんて考える」

「でも…」

戸松が否定するのを止める。

彼女が言いたい事は何となく分かった。

あの選択は智の意見を尊重した結果だ。

しかし、それは俺だけの判断で決めてしまった事だ。

彼女の心情も、彼女の家族の心情も一切考えていなかった。

「それでも、俺は葉月ちゃんや智の家族から智と過ごせる時間を奪ったんだ」

俺の言葉に、戸松はただ黙って何も言わずにいた。

「二人とも」

日高が、走って近付いてくる。

二人の雰囲気を察してか、こちらに近付いた時には無言になる。

「で、どうしたんだ?」

この重苦しい空気を壊す。

流石にこの心情を、これ以上誰かに話す気にもなれなかった。

「まだ夕飯まで時間あるから、散歩でも行かない?」

「良いね」

日高の案に戸松が即答する。

彼らなりに気を遣ったのだろう。

昨日も行ってなかったけ?なんて言うのは、野暮だろう。

「菅野さんが先に行っているよ」

そう言って日高は、戸松と先に外に向かって歩き出す。

彼女の名前に俺は、足取り重く付いていく。

別に悪い事をしたわけではないが、彼女なりに俺を気遣ってくれていのだから謝るべきだと思った。

俺はただ二人に付いて行くと、三条大橋の近くの川の畔に下りる。

そこにはカップルに混ざって、川辺に腰を下ろす菅野と悠木がいた。

呼ぶ様に手を振る菅野に、戸松が走り寄って行く。

「川を見ていたの」と、菅野は元気そうに笑う。

自分勝手に安堵してしまう。

彼女が気まずそうにしていたら、俺は居場所を見失ってしまうところだった。

それもきっと彼女の優しさなのだろう。

「今日は少し暑かったから、ここだと涼しいだろう」

「確かに」

俺は言葉にしてしまっていたらしい。

皆が一斉に俺の顔を見る。

菅野は笑って、そんな俺に「だろ?」と聞いてくる。

この姿を見ると何故だかホッとした。

それは罪悪感からではなく、自分の居場所に戻って来たような感覚だった。

それから少しの間、俺らは川辺で腰を下ろして話す。

ただ心の中では、この時間を満喫出来ない自分がいる。

「もう明後日には帰らないといけないのか」

菅野が残念そうにすると、悠木も「あっと言う間だったね」と、沁沁言葉にする。

「また来たいな」

「今度は卒業旅行行こうか?」

菅野の発言に戸松がまた何か企てる。

これが日高や悠木なら安心して聞けるのだが、発案者が戸松というだけで不安な要素が満載だった。

「気が早いな」

「それか冬休みに行く?」

俺の言葉を無視する様に、戸松は話を続ける。

「良いね」と菅野が同調すると、戸松が「何処行く?」と話を進める。

この二人が友人になったことで、面倒臭さが倍以上になった気がする。

「私、蟹食べたい」

と、悠木まで話に乗り出した。

「来年は受験だし、ゆっくり遊べるのは、これが最後になるかもしれないしね」

最後の砦の日高までも輪に入っている。

しかし、彼の言う通り、来年は受験でこうやって遊んでいる時間が少ない事も事実だった。

それに今の自分には来年が来るかも、危機的状況にあることを思い出した。

「雪乃は大学進学?」

「うん、地元から通える範囲かな」

菅野は少し濁して話す。

彼女にして珍しいな、と思った。

「香澄は?」

「私も大学」

戸松が一瞬だけ横目で日高を見た気がした。

彼女の進路は少し前に聞いていた。

日高が目指している大学に、一緒に受験する事を決めたらしい。

「リョウは?」

戸松の一言に俺は、きっと凄く困った顔をしたのだろう。

彼女は俺の表情を見て、顔を暗くする。

その顔を知っている。

人を傷つけたかもしれないという、自分の発言に後悔している顔だ。

でも、今回は逃げるわけにはいかない。

「いや、まだ決めてないんだ」

そう言って、無理に笑ってみせる。

周囲から音楽系の大学受験を勧められている。

しかし、俺の中でピアノを弾き続ける理由を、まだ見つけられていなかった。

「そろそろ戻るか」

日高が立ち上がると、釣られる様に俺らも立ち上がる。

確かにそろそろ、風呂の前に行われる点呼の時間だ。

皆が川辺を歩いて行く。

だが、俺はまだ歩き出せなかった。

「リョウ?」

「悪い、先に帰っていて」

さっき、モトと話していて自分の中で答えが出ていた部分があった。

それがさっきから、胸の奥で渦巻いている。

「何処か行くの?」

「あ、お土産買い忘れたのあるから」

「ボクも行くよ」

「一人で大丈夫だ」

戸松は俺の表情を覗き込むと、急に表情を険しくする。

「智のお墓に行くの?」

彼女には見透かされていたらしい。

俺は無言で返事をする。

残りのメンバーは俺と戸松を見守る様に少し先で、こちらを見ている。

「沢城に適当に言い訳していて欲しい」

「分かった…なんて言うと思う?」

珍しく戸松の怒りが伝わってくる。

「行って、どうする気?」

彼女の言う事も勿論だった。

智の墓前に、行ってどうしたいのだろう。

ただ今行かないと行けない気がする。

それだけだった。

「行っても過去は変わらないよ」

「分かっている」

「リョウは、自分の事を責める為だけに行こうとしているんじゃない?」

「そんな事は無い」

「智が、そんな顔のリョウを見たいと思っているの?」

「それでも俺は行かないといけないんだ」

「どうして?」

戸松が声を大きくして問いかける。

どうして?

どうして、俺は行かないといけないのだろう。

どうして、俺は行きたいのだろう。

そんな事を考えていると、後ろから背中に強い衝撃が走る。

俺は蹌踉めいて川に入ってしまい、そのままバランスを崩して水の中で四つん這いになってしまう。

「な、何するんだ?」

振り返ると、菅野が戸松同様に険しい顔で俺を見下ろしている。

「何、ウジウジ悩んでいるんだ?」

「別に何でもない」

「本音を全部吐き出せばいいだろう」

「だから、本当に何でもないんだ」

俺は冷たくあしらおうとする。

「そんな辛気くさい顔していて、何でもないわけないだろう」

「五月蝿いな、お前には関係ないだろう!」

自分が、どんだけ身勝手な事を言っている事を分かっていた。

菅野の顔が歪む。

彼女の事だ、俺の事を心配してくれているのを分かっていた。

我ながら、本当に最低な発言だと思う。

「関係ないかもしれない…」

籠ったような声で、泣き出しそうな声で彼女は俺にこう言う。

「だけど、私は日高君の件で助けられた…だから、今度は私が涼平の力になりたいんだ」

彼女のこういう所に、俺はきっと救われて来たのだろう。

だけど今回だけは、これ以上は彼女の優しさに甘えるわけにはいかない。

「お前は、当事者じゃ…」

「私がそうしたいんだ!」

彼女が俺の言葉を遮る様に、ハッキリと宣言する。

凄く嬉しかった。

だけど、俺は拒絶する。

「もういい!」

そう言って、俺は川を出て菅野の横を通り過ぎる。

こうなったら止められようが、強行突破で行くだけだ。

次の瞬間だった。

首の後ろの襟元を持たれて、俺は強い力で引っ張られる。

菅野の両手が俺の首元を強い力で、川に引き戻す。

戸松と悠木が俺と菅野の名前を呼ぶが、二人は吸い込まれる様に川に浸かってしまう。

バシャーンと大きな音と共に、俺と菅野は二人で川に尻餅をつく形で向き合う。

「お前な…いい加減にしろ!」

「五月蝿い!」

近付けば分かるほど、彼女は涙をためて俺に訴えかけてくる。

「何強がっているんだ!」

「お前に何が分かるんだ」

「ああ、分からないよ…だから、話したら良いじゃないか」

「そんな簡単な事じゃないんだ」

「簡単な事じゃなくしているのは、涼平じゃないか!」

彼女は顔を真っ赤にさせている。

それは怒っているようにも、泣いている様にも見えた。

「何だと?」

「自分で立ち止まって、自分で足掻いているだけじゃないか」

「辛いときは辛いって…無理するなって、言葉にして誰かに話せって涼平が私に言ってくれたんじゃないか」

自分の言葉なのに、胸に突き刺さるようだった。

「これは俺の問題なんだ…それに、誰かに話してどうにかなるような問題じゃない」

「話してみないと分からないじゃないか」

「じゃあ、お前に自分の責任で誰かの大切な人を奪ったかもしれない、そんな人間の気持ちがお前に分かるのか?」

「分からないよ」

今にも鬱ぶれてしまいそうな表情で、彼女は俺に投げかけ続ける。

「分からない…でも涼平は、智さんの事を想って、そう決めたんだよね?」

智の事を想って…確かにそうだったかもしれない。

「それは、自分だけの判断だったんだ…智の家族、友人もきっと智の事を想っていたいたんだ…それなのに、俺のエゴで智の背中を押した」

智と話して決めた、だがそれも俺の中で、彼女の為という解釈でしかない。

「でも、判断したのは智さんじゃないの?」

彼女が確かに決めたのだ。

だったら、何故彼女はその選択をしたのか…。

「だとしても、背中を押したのは俺だ…俺と付き合わなければ、俺が智を好きにならなければ…」

俺は俯き、今出た答えを口にする。

そうだ、俺は彼女に手術を選択させた。

それは俺と付き合う事で、彼女が選んでしまった道だった。

「それ、本気で言っているのか?」

「ああ、俺と出会わなければ、きっと智は…」

最後まで良い終える前に、俺は胸ぐらを掴まれる。

顔を上げて目を開くと、すぐ目の前には菅野の顔があった。

その綺麗な顔を真っ赤にして、今にも食って掛かりそうな表情で俺を見ている。

そのまま俺は川に押し倒される。

頭を川に沈められて、すぐに引き上げられる。

「何するんだ?」

流石に俺も怒って、彼女の手を払いのける。

「お前ないい加減にしろ」

「五月蝿いな!川の水で、少しは頭を冷やせ」

「お前こそ、冷静になれよ」

菅野は明らかに怒っていた。

顔をクシャクシャにして、俺と三十センチくらいの距離で話している。

「涼平が、ここまでどうしようもないバカだとは思わなかった」

「バカとはなんだ」

「バカだからバカって言ったんだ」

さっきの水に沈められたのと、暴言の数々で俺も怒りが込み上げてくる。

挙げ句にバカ扱いされるとは。

お互い呼吸を整える様に、無言になる。

そして、少しの間を置いて先に話したのは彼女だった。

「一つ聞いていい?」

「何だよ?」

急に冷静な瞳で俺を映してくる。

何故か、その瞳から目を逸らす事も許されないような感覚に陥った。

「本当に智さんが、涼平と出会わなければ良かったって思っているの?」

「智だけじゃない…」

「同じだよ、智さんの幸せを周りが願っていたんだったら、智さんが涼平と出会えて得た幸せは本物なんだよ…周りが望んだ幸せと同じものなんだよ」

彼女の言葉に困惑して、反論する事も出来なかった。

智は幸せを俺と出会えて、得る事ができたのだと彼女は言う。

「それを否定するのは、智さんの幸せな時間を否定する事になるんだよ…それとも、涼平と一緒に居た智さんは、笑っていなかった?」

笑っていた。

彼女は俺の前で幸せそうに笑っていた。

俺は首を横に振って、彼女の言葉を肯定する。

「涼平は、智さんを悪者にしているんだよ」

「え…」

「自分が前に進めない理由を智さんのせいにしている」

「そんなことは…ない」

言葉が弱々しくなるのを、自分でも理解していた。

いつも沢城や戸松に恋愛の話をされる際に、俺はきっと智の事を理由にしていた。

「じゃあ、何で智さんと選んだ選択を間違いにしてしまうの?」

菅野の言葉に何も言い返せなくなり、俺は黙って俯く。

俺と出会わなければ、もしかしたら智は生き続けて幸せな未来があったかもしれない。

そんな事をどこかで思っていたのかもしれない。

これは後悔だ。

たらればを繰り返して、心の何処かで後悔を繰り返していたのかもしれない。

「それに涼平は、智さんの家族や葉月さんと向き合えない事を、智さんの死を言い訳にしているんだ」

「違う」

「違わない、涼平は逃げているんだ」

「逃げてなんかいない」

強く否定する。

向き合っていないわけではない、俺は選択した責任がある。

「俺は考えて、智の家族から恨まれたままにすれば、誰も自分を責めなくて済むって…最良の選択だって…」

また俺は彼女の強い眼差しに、目を離せなくなり言葉を途中で切る。

そして、彼女はこう問いかける。

「何で、その最良の選択で、涼平はそんなに悲しそうなの?」

「俺は…俺の事は良いんだ」

もう反論する事も難しくなり、俺は突っぱねる様に言う。

「涼平は自分を悪者にすれば良いとか、そんな悲劇のヒーロー気取りの自己犠牲野郎な事を考えているの?」

「そんな悲劇のヒーローとか、自分を犠牲とか考えてない」

そんな大それた事を考えていない。

俺は理由なんて考えていない。

ただ、これが最良の選択だと考えて行動していただけだった。

そんな俺の話を、彼女は「同じ事だよ」と簡単に論破してしまう。

そして、彼女は少し優しい表情で、また俺に問う。

「ねえ、涼平はどうしたいの?」

「俺がどうしたい?」

問い返しに、彼女は「うん」とだけ答える。

この質問は、今日二度目だ。

許されたいのか?

それは違う、俺は楽になりたいわけではない。

きっと俺は知りたいのだ。

智が本当に幸せだったのか、それだけを。

「俺は…もう一度、智に会いたいんだ」

ただ、もうそれを聞く事は叶わない。

だから俺はせめて、彼女に届けたかった言葉がある。

「会って、ちゃんとお別れを言いたかったんだ…」

自分の手に力が入り、拳を作る。

目の奥が熱くなり、視界が少し滲む。

あの日、智が眠りについた日、俺は彼女に何も言えなかった。

死を目の前にした彼女に、何一つしてやれなかった。

そうだ、これは後悔だ。

彼女の死に目に会えずに、言葉を交わせずに、煮え切らない感情だけが心に残っていた。

別れを言う事で、何かが変わるわけではない。

もう届かなくても、もう伝えられなくても、俺は現実と向き合わなければならない。

菅野の言う通り、墓前に行かなかった事も、智の家族に会わなかったのも、全ては逃避だ。

それが今、俺の答えだった。

そっと顔を上げると、目の前には笑顔の菅野がいた。

そして、「うん」とだけ答える。

「何で、そんな笑顔なんだ?」

目の前の彼女は何故か、凄く嬉しそうだった。

今までに見た事無いくらいの満面の笑みをこちらに向けている。

「やっと、悲劇のヒーロー君が素直になったなーって」

「五月蝿い!五月蝿い!」

照れ隠しに喚き散らしてみるが、彼女には逆効果のようだ。

さらに嬉しそうに、立ち上がったステップを踏み出す。

俺はそれを追いかける様に、彼女の後を歩く。

「じゃあ、智さんの御墓参りに行こう!」

くるっと振り返り彼女はそう言った。

少し傾いた日差しが、彼女の後ろから差し込み濡れた髪に反射する。

「明日には帰るんだぞ…時間がない」

「今から行こう」

そう言って、彼女は手を差し伸べてくる。

恐る恐る俺は、その手を掴もうとすると、彼女は思い出したように「あ、でも着替えてからな」と付け足す。

「急だな」

「善は急げって言うだろう」

「でも、今から行ったら点呼に間に合わないだろう」

「はいはい、そこは私に任せて」

俺の心配など微塵も気にしていないようだ。

彼女から俺の手を引っ張って来る。

「ウジウジ悩んでいる暇があったら、とりあえず行くよ」