彼女と彼の事情 肆

その後、俺は智の母親に経緯を話した。

彼女は謝罪も感謝も言葉にせずに、ただ深々と御辞儀をした。

そして、智と話し合って、戸松や日高にも事情を説明した。

最初は心配で戸松が泣き出してしまったが、日高と二人で話して俺と一緒に彼女の傍に居てくれると言ってくれた。

智と付き合いだした事の報告は、これでもないってくらい茶化された。

その後に、戸松に泣きながら「おめでとう」を連呼されたのを覚えている。

彼女なりに、俺らの決めた道の険しさを理解してくれたのだろう。

俺は家族にも、この話をした。

両親には出来る限りのバックアップをすると、頼もしい言葉をかけてもらえた。

それから二週間以上が経つ。

九月も終わり、十月に入ると病室も過ごしやすくなった。

病室には、俺と戸松と日高が居て、いつも通りの四人の会話をする。

「涼平と智は、どこまで進んだの?」

悪い顔をして戸松が、下世話な会話を投げ込んでくる。

「「は?」」

口を揃えて、俺と智は同じ反応をする。

「そろそろ、二人はキッスぐらいは済ませた頃だと思ってさ」

「お前はいきなり何を言い出すんだ?」

動揺してしまっていた。

正直、抱きしめて以来、俺は手を繋いだりするのが精一杯だった。

焦っている俺を見て、更に戸松は追い打ちをかけてくる。

「いやいや、大親友の二人が付き合いだして1ヶ月経つので、進捗状況を知りたくてですね」

そんな事を言って、確実に弄る気満々の表情をしている。

俺がどうにか誤摩化そうとしていると、ベッドに横になっていた智が凄く万遍の笑みをしていた。

「そうね、私は大親友の香澄の進捗状況が知りたいわ」

「へ?」

戸松の時間が止まる。

日高も俺も、智の発言が何を意味しているのか分からなかった。

「そろそろ、勇気を出す決心がついたかしら?」

「智様、申し訳ございませんでした!」

狭い空間で、早々と戸松は深々と頭を下げる。

今思うと、この頃からきっと戸松は日高の事が好きだったのだろう。

その事に気付かされたのは、この二年後だった。

「そろそろ、帰ろうか」

日高が携帯電話を取り出して、時計を見る。

俺らも壁にかかった時計に目をやる。

もう六時前だった。

六時になると、この病院は面会時間を終える。

俺らは立ち上がると同時に、カーテンが開いて女の子が顔を覗かせる。

「あ、こんにちは」

智の妹である葉月が立っていた。

「葉月ちゃん、久しぶり」

「香澄さん、日高さん、お久しぶりです」

葉月は会釈をすると、手にぶら下げたコンビニの袋を智に渡す。

俺は何度か此処に出入りしている時に話していた。

彼女が子供の頃、何度か俺らが遊んでいる時に一緒に混ざっていたこともあった。

智の妹とは思えないくらい喜怒哀楽が激しく、第三者が見ても明確なほどシスコンぶりだった。

あの日、智の余命が宣告された日、彼女は卒倒してなかなか姉の見舞いに来られなかった。

ここ一ヶ月でやっと、彼女も病院に来られる様になった。

彼女もまた姉を失う現実と向き合う事を決めたのだろう。

「お姉ちゃん、頼まれてたアイス買って来たよ」

「ありがとう」

葉月から受け取る智を見て、俺は返る足を止める。

「アイスなんて食べて良いのかよ」

「だって、他に楽しみ無いんだもん、本も読み尽くしちゃったし」

「また、何か持ってくるよ」

日高が笑顔で返す。

「ありがとう、日高君」

長期入院を知らされてから、日高や戸松は智に本の差し入れを持ってくる。

様子を見に来る口実だろうが、本当に沢山の本を持って来ていた。

元々、智も入院する前から本が大好きで、漫画や文芸小説、実用書とジャンル問わずに読み耽っていた。

「それまでは、私がお姉ちゃんの相手をしてあげよう」

胸を張る仕草をして、葉月は自信満々に言う。

「葉月ちゃん、頼むよ」

「はい!」

俺の言葉に葉月は笑顔で答える。

「それじゃ、俺らは失礼するよ」

そのままカーテンの外に出て行く俺らに、智は「またね」と笑顔で見送ってくれる。

一階のホールまで歩いた頃に、呼び止められる。

「涼平さん」

「葉月ちゃん、どうしたの?」

葉月は凄い勢いで、俺らの元に走ってきた。

息を切らして、持ち直すまで数秒かかる。

「先に行っている」

「分かった」

日高は戸松を連れて、外に向かって自動ドアをくぐる。

それを見送った後に、俺は葉月を見て同じ質問を繰り返した。

「ごめん、それでどうしたの?」

「お姉ちゃんと付き合いだしたそうですね?」

何故か、戸松に言われるより恥ずかしい。

彼女の親族に言われるというのは、緊張も含む。

しかし、悪い事をしているわけではないので、俺も堂々と「うん」と返事をした。

「ありがとうございます、本当にお姉ちゃんが嬉しいそうに話していたので…」

どうも祝福してくれていたようで、彼女も笑顔で祝ってくれた。

しかし、智の口から彼女に話した内容が気になっていた。

告白した時の話とか、第三者には恥ずかしくて日高にすら話していなかった。

「俺は傍に居る事しかできないけど」

その言葉に彼女は少し考えて、一つの質問をぶつけて来た。

「涼平さんは、お姉ちゃんは手術しないほうが良いと思いませんか?」

その意図が分からずに、俺は困惑して言葉が出せなかった。

俺の様子に畳み掛ける様に、彼女は続ける。

「お姉ちゃんはまだまだ元気です、だけど手術して失敗したら、もう生きられないんですよ?」

「そんなの…」

困った事になった。

この流れだと、智は手術を希望しているのだろうと予測出来た。

その話さえ初耳なのに、それに反対する妹の意見を先に聞かされて、「どう思う?」と聞かれているのだ。

「今の俺は智から手術の話を聞いていない、だから何とも言えないんだ」

「そうですね、すいません…いきなり」

彼女から急に現実を突きつけられた気がした。

確かに、いつかは考えないといけないことだ。

手術をして生き残る確率に賭けるか、このまま手術をせずに行けるところまで行くか。

もう現段階でも時間が経過していて、手術の確率は少し下がっているだろう。

妹である彼女が焦るのも無理はない。

それくらい智は普通なのだ。

俺は少し考えて、智と話してみる事にした。

「お姉ちゃんと一度話してみるよ」

「はい、御願いします」

そう言って、葉月が深く御辞儀をした。