彼女と彼の事情 参

それから数週間が経つ。

相変わらず智の智の様子は変わらず、彼女の余命にすら疑問を抱くほどだった。

学校も2学期がはじまっており、一週間以上欠席している彼女の容態を気遣う生徒も出てきていた。長期欠席の理由は入院になっているが、いつ退院かという話まではされていなかった。

九月中旬のまだ暑い頃、俺は白紙の進路希望表を机の中に仕舞った。

鞄を整理して抱えると、目の前に人影が行き先を遮る。

「今から見舞いに行くのか?」

「ああ、戸松も来るか?」

戸松は首を横に振って、優しい表情でこう答えた。

「いや、今日は遠慮しておくよ」

「そうか」

「いつも沢山で行くのも失礼だろう?」

確かに、入院が決まってから週に一、二度のペースで俺らは見舞いに行っていた。

しかも、いつも俺らは三人で行っていた。

「分かった」

「相変わらず、退院の目処は立たないのか?」

「そうだな、当分は難しいらしい」

俺は多分苦い顔をしていたのだろうか、その様子から戸松も深くは詮索してこなかった。

ただ、「そう…」と自分を納得させる様に返事をした。

戸松の横を通り過ぎて俺は、「行ってくる」と零す。

すぐに背中に「リョウ…」と呼び声をかけられる。

彼女は振り返る間もなく話す。

「リョウは大丈夫なのか?」

「何が?」

俺の心の中で分かっていたのだ。

戸松は何かに気付いていた。

それは、きっと明確なものではないが、薄々勘付いているのだろう。

「いや、何でも無い」

戸松の声が震えている様にも思えた。

しかし、彼女も不安なのだろう。

親友の現状を知ってしまう事を。

「それより、リョウのクラスは文化祭は何をするんだ?」

急な話の切り返しに、俺は振り返って彼女の顔を見る。

その表情は無理に強がっている様にも見えた。

しかし、そこに俺はかける言葉を持ってなくて、ただ質問に答えるしか無かった。

「知らない」

実際、俺は文化祭どころではなかった。

文化祭に智はいない、そんな事ばかり考えてしまっていた。

「中学最後野文化祭だよ」

「そうだな…」

「うちはお化け屋敷だな」

当時、戸松と日高は隣のクラスだった。

俺と智は同じクラスだったので、クラスに戸松ら二人が遊びにくる事が多かった。

「意外と普通だな」

この頃から、戸松の奇行は健在だった。

クラスのムードメーカー兼トラブルメーカーでもあった。

「お化けに捕まったら罰ゲームが待っているという、スリリングなお化け屋敷だ」

「罰ゲーム?」

「顔に落書きして記念撮影だ」

「相も変わらず、ろくでもない発想をするな」

上手に笑えている自信は無かった。

それでも、彼女が一生懸命に気を遣ってかけてくれた話題に応えた。

「これでも善処したんだぞ、最初は同性からキスされるなど色んな案を出したんだ」

「毎年、お前がいるクラスは悪ノリするよな」

「中学生活で一度もリョウと同じクラスになれなくて残念だよ」

「俺は平和な時間が存在していて助かったよ」

「ボクが居なくて寂しかったくせに」

「はいはい、サビシイサビシイ」

ただ冗談っぽく答えて、俺らは会話を終えた。

 

 

病室をノックして入る。

それから智のスペースを仕切るカーテンに向かって、俺は「入るよ」と一言。

すぐに智の声で「どうぞ」と返ってくる。

智は立って、窓の外を見ていたのだろうか、ただ窓の手摺に手を当てていた。

「起き上がって、大丈夫なのか?」

「そんなに酷くないって」

小さく笑顔を見せて、彼女はベッドに腰掛ける。

「今から検査なの」

「それなら出直すよ」

「ううん、すぐ戻るから病室で待っていて」

「そうか?」

彼女が「うん」と嬉しいそうにする。

入院した経験がないので分からなかったが、両親に入院中は一人でいると気弱になると聞いていた。

だからこそ、少しでも彼女の傍に居たかった。

「適当に座っていて」

「と言っても、この椅子しかないだろう」

そう言って、俺は畳まれていたパイプ椅子を広げて、そこに腰を下ろす。

「そうね」

「じゃあ、行ってくるね」

俺は一言、「ああ」と彼女を見送る。

「十分くらいで戻ると思うわ」

そう言って、彼女はそのままで病室を出て行く。

運動こそしていないが、散歩はしているようで歩く事ができないわけではなかった。

至って普通だった。

余りに彼女の様子が変わらないので、本当は身体は大丈夫なんじゃないかって安心したくなる気持ちが強かった。

静かな時間が流れる。

開いた窓から風が入ってくるので、俺は立ち上がり窓に手をかけた。

ふと、机の上に一冊の小型のノートがあるのに気付く。

どうも、日記帳のようだった。

他人の日記を見る趣味は無いので、興味はなかったが目を逸らした。

それでも、俺はその瞬間的に視界に入って来たノートの文章が脳裏に刻まれていた。

この時ほど、俺の視力の良さにうんざりした事は無かった。

そこに「死」という文字が入っていた。

恐る恐る俺は日記を手に取る。

駄目な事だとは分かっていたが、俺は彼女の心情が知りたかった。

彼女は今まで一度もその不安を口にはしてこなかった。

三週間以上も入院していて、何一つ不安に思わないことなどなかっただろう。

そのページに目を通して、俺は言葉を失う。

 

九月十二日 晴れ

今日も涼平は見舞いに来てくれた。

いつも、何か適当な理由を付けて、訪れてくれる。

それでも、彼の口から真実を告げられる事は無い。

ただ、私を安心させようと、優しく笑ってくれる。

もう私が短い命だとしたら、尚更のことだ。

優しい彼だからこそ言い出せないのだろう。

死んでしまったら、彼は泣いてくれるだろか。

 

「なんだこれ…」

俺は無意識にそう零していた。

短い命…真実…。

それはまるで、真実を知っているような日記だった。

そのまま吸い込まれる様に、俺は次のページ、次のページと捲る。

 

八月二十日

最近、やたら母さんが優しい。

涼平も毎日のように見舞いに来てくれる。

彼は凄く作り笑いが下手だ。

きっと私の容態は良く無いのだろう。

それでも母さんも父さんも涼平も、安心させようとしてくれているのだろう。

 

二週間前からの日記。

「まさか…」

そう、そのまさかだ。

彼女は最初から自分の身体について何か気付いていたのだ。

次の瞬間、風が勢い良く入って来てカーテンが音を立てて靡く。

その後、背後から声が届いた。

「やっぱり」

その声は、低く突き刺さるようだった。

振り返ると、彼女はそこにいた。

「智」

「わざと見える様に日記を置いていたの」

彼女の様子は、今までの優しい顔つきではなかった。

それは真相に辿り着く為に責め立てる、そんな瞳で俺を見ていた。

「今の私の現状が知りたかったのだけど、涼平のリアクションで理解したわ」

「何の事だ?」

「隠さないで!」

相部屋というのも忘れてか、彼女は声を荒げる。

俺もそれを気にする余裕すら無かった。

ただ彼女は俺に詰め寄って、自分の事を、真実を聞き出そうとしてくる。

「私の余命は、あとどれくらいなの?」

「余命って…ただ入院しているだけだろう?」

「涼平は嘘を吐くときは、引きつった笑顔になるんだよ」

「そんなことないよ」

この時、自分の嘘がやけに彼女にはバレてしまう理由が分かった。

彼女には最初から、俺が演技している事が分かっていたのだろう。

その不安を考えると胸が苦しくなり、現状をどうすれば良いか混乱した。

「別に怒っているわけじゃないの!私に残された時間が知りたいの!」

「智!」

俺の大きな声に、彼女が一瞬静止する。

「智は死なないよ」

俺の言葉は詭弁だったかもしれない。

だがただ、それは自分に向けていたものでもあった。

二人が向き合って見つめ合う。

次の瞬間にカーテンが開き、智の母親が勢い良くカーテンを開く。

「智、どうしたの?」

「母さん」

智は俺を撥ね除けて、母親に縋る様に近付く。

「私はあとどれくらい生きられるの?」

母親は現状を理解出来ずに、俺に視線で質問を投げる。

俺はただ首を横に振る事しか出来なかった。

 

 

冷静に母親は、話す為に中庭のベンチに俺らを連れてくる。

そして、智を落ち着かせる為に座らせて、横に座った母親が彼女の手を握る。

「自分で気付いたのね」

「うん」

俺の説明も無く、母親は現状を理解していた。

多分、予想していたのだろう。

彼女が決心したような表情で、娘と向き合って震える声で告げる。

「保って、あと半年という事よ」

その一言で、智の顔が泣きそうになる。

ただ堪えて、まるで表情を隠す様に俯くと、「そう…」とだけ返事をする。

「まだ決まったわけじゃない」

俺の言葉は気休めだったかもしれない。

だが、その時は黙っているだけではいられなかった。

「そうよ、手術をすれば助かる可能性があるの」

「可能性が限りなく低いんじゃないの?」

智の言葉に、母親も俺も無言になる。

母親が今にも壊れそうになって、言葉を出そうとするが声になっていなかった。

まるでそれが答えになる様に。

そんな母親を見て、彼女は立ち上がる。

「少し一人にさせて…」

彼女はそのまま中庭から病院のホールに足を向ける。

その背中を見送って、俺らは黙って時間の流れを忘れた。

「涼平君」

智の母親が、気まずい静寂を切り裂く。

「ごめんなさいね、それでもいつかは伝えないといけなかったから…」

彼女は、必死に隠そうとしていた俺にも気を遣ってくれていたのだろう。

だから、俺が言い出す前に自分で真実を娘に告げたのだ。

「貴方にばかり、色んな事を押し付けていたわ」

「そんなこと無いです」

今にも折れてしまいそうな彼女の声を聞いて、俺は責める事など出来るはずが無かった。

彼女は母親として、娘の事を想った結果がこうなってしまった。

「俺がもっと上手に隠せていたなら」

「そんな事無いわ、こうなるって分かっていながら、私たちは親として娘の現実から逃げていたのね」

もう限界だろう、と俺は彼女の顔を見ない様に背を向ける。

言葉の最後が涙声になっていた。

「智の所に行ってきます」

そのまま、俺は智の歩いた先に足を前に進める。

「ありがとう」と背中に届いたが、素直に喜べなかった。

 

 

智を探して病院中を歩いたが、大きな病院だけあって見つけた時には半時間以上経っていた。

人気が無いところだろうと、色々歩いたが結局は最後に行った屋上にいた。

夏の終わりを迎える屋上は爽やかな青空が広がっていた。

そして、爽やかな風が出迎えてくれた。

青のコントラストに建物と干してある洗濯物の白が際立って異質な空間を演出していた。

その白の隙間から彼女が億女のベンチに座って、空を見上げているのを見つけた。

近付いて、彼女に声をかける。

「こんな所にいたか」

「やっぱり、涼平は知っていたの?」

彼女の声のトーンはさっきより優しい。

冷静になったのか、いつもの口調だった。

その問いに、ただ「ああ…」と返事をする。

「嘘つき」

そう言われて、俺は痛みに堪えて謝る。

「ごめん」

そもそも俺らは、彼女の事を考えていなかったのかもしれない。

智の母親の言葉の通り、俺も現実から逃げる為に彼女に真実を隠して、いつか来る終わりを保留にしていた気になっていたのかもしれない。

「なんて、言われると思ったの?」

あっけらかんと、彼女は意地悪そうな顔で立ち尽くす俺を覗き込む。

「涼平は涼平なりに、私の事を考えてくれたんだよね?」

それに、「うん」とは答えづらかった。

今さっき、自分が傷つかない様に嘘を吐いていた事に気付いてしまった。

ただ、彼女の事を考えていなかったと言えば、それも嘘になる。

「考えていた…だけど…」

「それなら良いんだよ」

俺の言葉を遮る。

ハッとして続きを言おうとする俺に、彼女は瞳で「言わないで」と言ってくる。

「涼平も黙っているの辛かったでしょ?」

彼女は安心した様に、優しい笑顔になる。

優しすぎる彼女の言葉に、俺は今にも崩れ落ちそうになる。

ここで泣いたら俺は最低になる、そう思って必死に立っていた。

「それに、香澄とかにも話してないでしょ?」

「何で…」と、俺の質問を言い終えるまでに、彼女は回答を届ける。

「だって、香澄は涼平以上に隠し事が出来ないもの」

変に納得する。

確かに、この事を戸松に話したら怒られそうだった。

そうだ、彼女ならこう言うに違いない。

「決めるのは智だ」

最初から、俺も智の両親も自分の少し安堵するために、その場限りの嘘を作り続けた。

その結果がこれだ。

「他人の為に自分を傷つけてでも何かをするって事は、それだけ相手の事を想っているということだからね」

「俺はそんなに深くは考えてはいない」

智の事を考えていた部分に関しては、自分でもそこまで深く考えていたわかえではなかった。

自分の大切な人が、安心して笑って過ごせる事を願った。

それだけだった。

「だから無意識で私の事を気遣ってくれたんだよ。所謂、愛ってやつだね!」

いきなり飛び出した彼女の『愛』という言葉に、俺は妙に恥ずかしくなった。

どうも赤面していたらしく、俺は顔の温度が上がっているのだけ分かった。

「な、何赤くなっているんだ!」

彼女が不条理な言葉を投げてくる。

そんな彼女の顔も真っ赤になる。

「智が愛なんて言うからだよ」

「涼平のバカ…」

今度は馬鹿扱いだ。

照れ隠しのつもりだが、酷い言われようだ。

しかし、彼女なりに感謝の言葉を投げてくれたのだ。

私の為に嘘を吐いてくれて、ありがとう。

そう言いたかったのだろう。

俺は嬉しくなった。

ただ彼女が、彼女のその優しさが愛おしかった。

「智」

「何?」

「俺は智が好きだ」

少し笑って、その言葉を届けた。

たった一言なのに、なかなか口にする事が出来なかった言葉だった。

彼女はまた赤くなると、笑顔になる。

そのまま言葉を返そうとする

「ありがとう、私も…」

だが、言葉が急に萎れてしまう。

表情も硬直して、笑顔が固まっている。

「私は、私は…」

「智?」

自分の肩を抱きかかえ、彼女は無表情になって震える。

そして、俺の顔も見ずにこう答える。

「ごめん」

そして、次の瞬間に彼女は笑顔でこう言った。

「私は、涼平とは付き合えません」

そう言った。

ただ彼女は笑顔のままで、大粒の涙を頬に流していた。

俺はどういう事なのか理解できずに、「そうか…」と肩を落とした。

その様子に彼女は、直様に理由を説明しようとする。

「涼平、違うの…」

次の瞬間には彼女の顔は、くしゃくしゃになって笑顔を作れなくなっていた。

「私も涼平が好き…だけど、駄目なんだよ」

ふさぎ込む彼女に近付くと、彼女は俺の襟元を掴んでこう泣き叫ぶ。

「私はもうすぐ死んで、涼平の目の前から居なくなっちゃうんだよ…そんなの…」

彼女の悲痛な叫びが、心に染みた。

俺らは何でこうなってしまったのか、俺も泣いてしまいそうになる。

ただ好きで、好きなのに傍に居ればお互いを苦しめてしまうかもしれない、そんな想い故に傍に居れない。

その切ない感情に、俺は彼女を抱きしめた。

「良いんだ、俺が智の傍に居たいんだ」

この時に。俺は本気で彼女の傍に居て、彼女を支えると決めた。

最後のその瞬間が来ても、傍に居て一緒に苦しむと。

「でも、涼平が…」

泣いたままの彼女の言葉を、俺は遮る。

「大丈夫だ、それでも俺はお前の傍に居たいんだ」

「わ、私も涼平と一緒に居たいよ」

彼女が強く抱きしめ返す。

先の事は分からない、だけど大切な人の為に生きようと思った瞬間だった。