終わりの鐘が鳴る夜に

きっと彼女は初詣のつもりなのだろう。

でも、俺は日付が変わるまでに彼女と逸れて、一人にならないといけない。

でないと、目の前で死んでしまうという、後味の悪い思いさせてしまうだろう。

ここまで来れば、ひっそりと眠りにつく事も何度も考えたが、葉月にあそこまで言わせて、このまま菅野と話さないわけにもいかない。

初詣にしては少し早いのか、まだ人も疎らだった。

駅前の大きな時計の下に、彼女は立っていた。

夜になって気温も下がっていて、彼女もダッフルコートにマフラーと着込んでいる。

でも、髪飾りやスカートもいつもより女の子らしくて、精一杯お洒落をしているのが伺えた。

「久しぶり」

近付いて声をかける。

彼女は少し緊張しているようで、「おう」と返事をして少し視線を下げる。

告白を断ってから、一度も連絡をしていなかった。

一応、葉月から「ちゃんと話したいということで、待ち合わせしているから」と説明はうけていたが、彼女は俺の内心を全く知らないのだ。

フッた男から、話したいと連絡があれば少し緊張するだろう。

しかし、俺はもう会えないと思っていた彼女に会えて、瞼が熱くなる。

ここで彼女と向かい合っていては、涙が出てしまいそうだ。

「少し歩こうか」

「ああ」

俺らはそのまま黙って、神社まで歩いた。

しかし、神社まではそこまで時間がかからない。

初詣と言えば、年越しまで屋台やらで時間を潰したりするものだが、流石にはしゃぐ気分でもない。

そのまま俺らは、とりあえず境内から少し離れた公園まで歩く。

神社の山の裏手にあって、あまり人に知られていないせいか誰もいない。

高台にあって、今夜も月が綺麗に見えた。

「ここは?」

「戸松たちと見つけたスポットだよ…あまり人が来ないから、よく日高と3人で夜遅くまで此処で話したこともあったよ」

「そっか…」

また彼女の顔が少し暗くなる。

街頭はないものの、月明かりで少しずつ目が馴れるにつれて、彼女の表情も見えるようになっていた。

何の話からしたものか、考えていなかったわけではない。

この間の時間で、やってはいけないことだけは理解していた。

俺も彼女の事が、好きだということを知られてはいけない。

そうすれば、きっと彼女は命を落としてしまう。

それだけは避けなければならない。

だけど、彼女は俺の状況を全くしない中で、何を説明するべきだろうか。

「菅野」

「はい!」

緊張しているようで、飛び上がるような反応をする。

それが少し可笑しくて、笑いそうになる。

「座らないのか?」

「ああ…」

相変わらず、こういう状況になると縮こまってしまう彼女が、本当に好きだなと自覚させられる。

他の事は馬鹿みたいに前向きなのに、恋愛が絡むと人一倍に臆病になる。

それはきっと俺も同じなんだろうけど。

「月が綺麗だな」

「もう少し寒くなると、星も凄く綺麗になる」

俺は「また来ような」と、言いたかった言葉を押し殺す。

「また来ような」

「…ああ…」

彼女から言われて、驚いて返事に間が出来てしまった。

それに彼女は誤解して反応する。

まるで、それを拒んでいるように聞こえただろう。

「私が居たら駄目か?」

「そうじゃないんだ」

「私の告白は迷惑だったかな?」

「いや、凄く嬉しかった」

嬉しかった。

だけど、その続きを必死で飲み込む。

「ありがとう」

彼女は今日初めて笑顔になる。

でもそれは、少しだけ切なさを帯びた、悲しそうな笑顔だった。

それだけで、胸が苦しくなった。

彼女にこんな表情をさせるために、俺はここに来たのだろうか。

きっと違う、俺は彼女にもっと心から笑ってほしいんだ。

「でも、私は涼平とは気まずくなりたくないっていうか、仲良くしたいんだ…恋愛感情を抜いても、私にとって涼平はかけがえのない人間だからさ」

「ありがとう」

飛び上がるほど嬉しかった。

これを受け入れられたら…でも駄目だ、と何度も自分に言い聞かせる。

「でも結花から聞いたけど、好きな人できたって…」

悠木に話したことを不覚にも忘れていた。

確かに、あの時はまだ菅野に気持ちが知れても問題がなかった。

いや、知られたくは無かったが、今のような状況ではなかった。

「それは…」

「香澄とか?」

「それは天地がひっくり返ってもない」

「じゃあ沢城先生?」

「以下、同文」

何故か、いつも沢城の名前が出るのだが、何をどうすればそうなるのか。

「他のクラスの子?」

俺は首を横に振る。

「言えないのか?」

「ごめん」

ここで全てを話したかったが、そうなる前に口を閉ざした。

きっとここで嘘の一つでも吐ければ、きっと彼女も楽になるのだろう。

でも俺は、ここでそんな事を言えなかった。

彼女の事を想っている、と言いながら、それだけは出来なかった。

「じゃあ、私が嫌いとか?けっこう、涼平には迷惑ばかりけているから…」

「違う」

ここでも俺は、「嫌いになった」と言えなかった。

これに関しては、言うべきではないだろう。

そんな結末を俺も望んでいない。

彼女が必死になって言い寄ってくるので、気付けば彼女の顔が凄く近くに来ている事に気付く。

ゆっくりと目と目が合う。

まるで感情をぶつけられているようで、俺は彼女から逃げるように視線を逸らして立ち上がる。

「菅野は確かにガサツだし他人の事情にズカズカ入ってくるし、たまに無神経だけど…でも、凄く良い奴だって知っている」

「そうか、何か嬉しいな」

また彼女が、泣きそうな笑顔を見せる。

その表情に苦しくなって、彼女を見ていられなくなる。

今すぐにでも抱きしめられたら、どんなに楽だろうか。

「正直なところ、俺はクリスマスの日から、お前を避けていた」

「うん」

「だけど、それは別に嫌っているとか、そういうのではないよ…少し気まずかっただけだから」

言い訳じみて嫌だったが、俺はこのままの空気で別れるのは嫌だった。

「へへへ、それは良かった」

少しだけ彼女が嬉しそうにする。

恋をすると、人はこんな些細なことで一喜一憂するのだろう。

「好きな子もいない、嫌いじゃないなら、まだ可能性あるかな?」

彼女も立ち上がって、俺に近付いてくる。

そう言ってくることは予想外だった。

何故、こんな必死に…と考えるだけ馬鹿らしかった。

きっと彼女もそれだけ俺の事を想ってくれている、それだけのことだろう。

しかし、そんな喜びを表に出す事も出来なかった。

俺は目を背けて黙る。

狡いと分かっていても、俺は言葉にすることが出来ないで立ち尽くした。

「私はどういう関係でも、この先ずっと一緒にワイワイ騒いだりバカ言って過ごしたいよ」

「ああ、俺もお前とずっと一緒に居たいと思っているよ」

これは精一杯の彼女への返答だった。

友人として、俺は今日彼女と別れるべきだと思っていた。

完全に元に戻す事が出来ないのは、最初から分かっていた。

しかし、何も出来ないわけではない。

少しだけ深呼吸すると、俺は口を開く。

「俺は菅野と出会えて良かった」

今日、俺はこの言葉を伝えに来たのだ。

「私も…涼平と出逢えて良かった」

事情を知っている人間からすれば、別れの挨拶だ。

しかし、彼女は後で理解するだろう。

俺はこの言葉とは、別に一通の手紙を用意している。

そこで彼女はきっと気持ちに応えられなかった意味と、俺が彼女にどうなって欲しいかを綴ってある。

「菅野に出逢うまで、俺はずっと理由をつけて現実から目を背けていた…誰かを傷つけたく無いとか綺麗事を並べて、結局は自分が傷つくのが怖かったんだ」

ひたむきで真っすぐな彼女や、一生懸命で馬鹿正直な彼女に出逢えて気付かされた。

「俺はそれに気付いて、菅野と過ごせて嬉しかった」

変な間が空くと、何故か菅野は嬉しそうにする。

まるで、その一言を待っていたように、彼女は満足そうにする。

そして、そのまま彼女は、俺に一歩近付く。

「涼平」

「何だ?」

「今、涼平は幸せか?」

彼女が俺の顔を見上げて言う。

さっきより凄く近い顔に、俺は恥ずかしさを隠せなくなる。

「何で…?」

「幸せか?」

その問いの意図は分からなかった。

しかし、どんな言葉にも真っ正面から応えると決めていた。

俺は心からの笑顔で、こう答える。

「ああ、幸せだ」

「よかった」

その言葉に彼女は満遍の笑みになる。

そうだ、その表情を俺は望んでいたのだ。

これできっと俺は彼女に、送りたかった言葉は言い終えただろう。

もう適当な理由で別れるだけだ、と思った瞬間だった。

「よかった、これで…」

そう言いかけて、彼女の身体が前に倒れてくる。

それを、俺は咄嗟に抱きかかえる。

まるで、気を失ったように彼女の身体から力が抜けていた。

気を失った人間は重いと聞いていたが、ここまでとは…。

「お、おい」

そこで、俺は一つの事実に絶望する。

菅野が息をしていない。

口に何かを近づけたわけではないが、普通呼吸をすれば少しは身体が動いているはずだ。

だが、彼女からは呼吸をしている動作が見られなかった。

「菅野!菅野!」

俺の呼び声にも反応しない。

身体を揺さぶっても、瞼一つ動かさない。

「冗談…だろ…」

その時、俺の脳裏に一つの推測が浮かぶ。

彼女が死んでいるとすれば、その理由は一つだ。

「おめでとう…君は生き返ることに成功したんだ」

「モト…」

今、一番出て来てほしく無かった。

死神が笑って、俺らが今まで座っていた場所で頬杖をついていた。

まるで、こうなる事を見透かしているようで、腹立たしかった。

しかし、今はこの状況の説明をさせるのが最優先だ。

「君は、彼女に幸せな瞬間を与えられた」

「俺は彼女の気持ちには応えていない」

告白に対する返答には全て口を噤んできた。

だからこそ、彼女がここで命を失う理由が見当たらなかった。

「彼女と両想いになるのが目標ではないだろう?」

死神の試練が成功する条件、それは『彼女を幸せにする』だった。

その判断方法は、確か幸せな笑顔をしているか、だったはずだ。

「ふざけるな!」

こんな曖昧な判定で、俺は納得出来るわけがなかった。

「笑顔なんて、菅野はいつもしていただろう」

「確かに、笑顔だけで判定していれば、そうだろうね」

「どういうことだ?」

今にも殴り掛かりそうになったが、モトの言葉で必死に堪えた。

「君も彼女の言葉に応えたじゃないか」

「どういうことだ?」

「彼女の幸せは、涼平…君の幸せなんだよ」

「俺の幸せ?」

この死神は、彼女の幸せは俺が幸せになる事だという。

しかし、俺は彼女が「幸せか?」と聞かれたので、「幸せ」だと答えたにすぎない。

それだけで?

好きな人の幸せを願うことはあったとしても、そこには必ず自分がいるはずだ。

「そうさ、彼女は心から君の幸せを願った」

「君が幸せになること、それを望んでいたんだ」

「なんだよそれ…」

そこには自分がいなくても、彼女は俺が幸せに歩んで行くことを願ったというのか。

まるで自分が、数日前に彼女に対して願っていたことを、彼女は俺に対して願っていたのだ。

「彼女は君のことを本気で好きだったんだろうね…」

「それは…」

力の抜けた菅野を抱きかかえたまま、俺は膝から崩れる。

力一杯抱きしめても、彼女は微動だにしない。

涙も出ない程の痛みが、全身を走る。

そんな俺を見下ろすモトは、目の前の石畳に腰を下ろすと力を抜く。

まるで一つ仕事を終わらせて、一息ついているようだ。

「これで私の役目も終わりだな」

「なあ、モト…こんなのないだろう」

捻り出すようにして、自分でも分かるくらい弱々しい声で縋る俺に、モトが冷たく切り返す。

「君が元々生き返ることを望んだのだろう?」

「お願いだ…彼女を生き返らせてくれないか?」

「何を言っているんだ、彼女はもう死んだんだ」

「だから、俺の命はどうなってもいい…お願いだ」

俺の再三の願いに、モトも溜め息を零す。

「君は彼女を幸せにするという契約を果たしたので、私もその契約も基づいて実行したに過ぎない」

「もう手立てはないのか?」

「ない…諦めろ」

モトはスッと立ち上がり、まだ膝をついたままの俺を見下ろす。

見下しているのが、よく分かる目をしている。

こういう状況でも、この死神は冷たく接することができるくらい仕事熱心だと、つくづく感心させられる。

「君も彼女も、どうしてそんな選択をするのか、理解に苦しむ」

そう言ったモトの言葉に、俺は反応する。

「菅野も…?」

菅野の選択?

「どういうことだ、菅野がどうしたんだ?」

「ここ数日、私は彼女と接触していたんだよ」

「な、何で…」

モトが菅野と?

思考が混乱する。

何故、死神が菅野に接触するのだ?

「死ぬかもしれない相手だし、君が煩わしかったからね」

「お前、まさか…」

さっきから、菅野の様子が少し不自然だと思った。

そもそも、彼女は何故か俺に「幸せ」と言わせたがっていた。

「そうだ、彼女が今置かれていた状況を教えた、が全部ではない」

「全部じゃない?」

「ああ、君の気持ちや試練の話をしていない」

「ただ、このままだと君が、彼女の代わりに死んでしまうということをだ」

血の気が引いて行く。

その状況で、モトが彼女に言ったときの反応は予想がつく。

「彼女は私にこう言ったよ…、『私が代わりになるから』とね」

彼女は後先考えずに、そう言える優しい人間だろう。

しかし、このタイミングでこれを何故告げるのか、この死神には悪意しか感じられなかった。

「君たち人間は、どうも理解に苦しむ…だから賭けをしたのだよ」

ここでまた、俺は嫌な予感がした。

この死神の提案は、ほとんどが最悪のものばかりだ。

「君に『幸せだ』と言わせることが条件で、君を生かして代わりに彼女を殺すとね…」

怒りを通り越して、殺意すら湧いてくる。

この死神は、どこまで人間を馬鹿にしているのだろう。

俺は菅野を抱きかかえたまま、立ち上がる。

「貴様、なんてことを…」

「殴っても良いが、それで君が満足するならな…」

「死神ってのは、こんなに性格が歪んでいる奴ばかりなのか?」

掴み掛かろうにも、菅野を離すわけにもいかなかった。

しかし、両手が自由だったら飛びかかっていたかもしれない。

おかげで、少しだけ冷静でいられたのだろう。

「人間は死と直面すると生きたいと言いながら、自分の大切な者だけが傷つくと平気で自分の命を差し出す…理解に苦しむよ」

もう、この死神と離すのも苦痛になっている。

手が震えているのは、怒りなのか悲しみなのか分からなくなっていた。

「理解などしなくていい…だから、今のこの状況をどうか出来ないのか」

「諄いな…」

そう言いながらモトは、少し考えると思いついたような顔をして、俺に提案してくる。

「君は何でもすると言ったな?」

「ああ」とすぐに頷いて返す。

「どんなものでも代償にすると言えるかい?」

もう一度、俺は首を縦に振る。

「君の命…存在全てを失くなってもか?」

命の次は存在だと、死神は提案してくる。

「それって…」

「そうだ、君がこの世界で存在していた全てを差し出せるのか?」

それは、俺の生きた証も、俺が生きてきた時間、意味、記憶も全て消滅させるということなのだろう。

「それでどうなるんだ?」

「勿論、君がいた痕跡や記憶は全て消える」

「そうじゃなくて、お前らにメリットがあるのか?」

そうだ、この提案には死神側のメリットを感じない。

何か、他の意図を感じてしまう。

「それはない…だが、私は君の覚悟を知りたいのだ」

珍しく、この死神にしては感情論を聞いてきているようだ。

俺がどこまで本気なのか、それが知りたいのだろう。

「もう一度聞く…君は存在そのものを犠牲にしても、彼女を助けたいのか?」

ゆっくりと聞いてくるモトに、俺はゆっくりと答える。

「ああ」

これはもう決めた事だった。

彼女の為なら、俺は何を犠牲にしても守りたいと決めていたのだ。

「君は本気で言っているのか?」

「ああ、勿論だ」

「存在全てが消えてしまえば、君のことを覚えている人間も、目の前の彼女も生き返っても君のことを忘れているんだぞ」

「かまわない」

「家族も、友人も…もちろん、その彼女の中からも。君が消えてしまうんだよ」

「分かっているさ」

何度も何度も確かめるように、しつこく聞いているのは、きっとモトも迷っているのだろう。

だからこそ、俺の意思を何度も確認する。

「それは死ぬよりも、もっと残酷なことだと君は本気で理解出来ているのか?」

「そんなの嫌に決まっている」

「それが…」

「それが俺の選択なんだよ」

モトの言葉を遮って、これ以上は必要ない意思を伝える。

それに察してか、モトは呆れた顔をして間を飽けると、俺をじっと見る。

「それが君の望みかい?」

「望み…いや、俺は彼女が笑って幸せになって、ただ生きているだけで良い…」

「君も彼女もお人好しだな」

「そうだよ…でも、俺は彼女が笑っていないと意味がないんだ」

この数日で、俺は彼女が生きて行く未来だけを願った。

自分が存在しない世界、そんなものはとうの昔に想像していた。

そこに、俺と過ごした記憶がなくても、想い出も消えてしまっても、それでも彼女が笑える世界を俺は望んだ。

「誰かを本気で想うって事は、自分の全てより誰かの幸せを優先出来ることなんだと思う」

「そんな台詞、今時は少女漫画にも出てこないと思う」

「くさかったかな?」

何故か、俺は吹き出してしまう。

自分で言っていて、恥ずかしくなったのもあるが、モトがここまで言ったのだ何か打開策があると期待しているのもある。

「本気なんだな?」

「ああ、俺は彼女の為なら消えてもかまわない」

観念したように、モトはもう一度石畳に座り込み考える。

「これからどうなるんだ…本当に存在が消えてしまうのか?」

さっきの話からすると、俺の存在を奪っても死神には利益がない。

元々、死ぬ相手から命以上のものを貰っても、メリットがないのであれば、それは代償にはならないはずだ。

「少し待て…」

何やらモトは、上着のポケットを漁りだした。

まるで家の鍵をどのポケットに入れたか分からなくなって、玄関先で探しているように彼女は自分の服のポケットを順番に探る。

「あった」

まるで仕切り直すように、わざとらしくモトは咳払いをすると、俺の前に立ち上がる。

そして、くすっと笑って、死神は紙を一枚差し出す。

それは以前見た忌々しい紙切れだった。

「死亡予定書?」

それを彼女は笑顔で見せると、目の前で勢い良く縦に破る。

「な、何を…」

呆気にとられて、モトの行動の意味を理解出来なかった。

そして、モトは用紙を念入りに何回も破る。

「合格だよ、長谷部涼平君」

その時、モトは優しい笑顔で俺に微笑む。

モトの言っていることを理解出来ずに、俺が停止していると彼女から口を開く。

「君は死神の試練を通過した…生き返ることが確定した」

「それって…」

俺が確認しようとすると、抱きかかえていた菅野が寝息を立て始める。

まるで合図で動き出したように、彼女の肩が呼吸を刻む。

「これはね、君を試す試練だと最初に説明しただろう?」

「ああ、確かそんなことを言っていたが…」

「それは君が本当に生き返るに値する人間かを試す試練だとも、私は言ったと思うが…」

「それって…」

この死神は、元々俺を試す為にこんな回りくどい方法で、俺の人間性を試したらしい。

俺の身体から力が抜ける。

菅野を抱きしめている手だけは力を抜かず、腰が砕けるように座り込む。

今、モトに言われた言葉の実感が湧かずに、ただただ放心状態になる。

「君がここで自分の命を犠牲にして彼女を救おうとするか、それこそが最後の試練だったのだったんだよ」

俺が目で菅野の安否を聞くと、モトは笑顔でこう答える。

「彼女は死なない…色々と嘘を吐いて悪かったよ」

「じゃあ、これって…」

「そもそも、こちらの不手際なんだから、死ぬ予定だった人間も見送りになる」

怒りは不思議と湧かなかった。

ただ、安堵だけが心を満たして、瞼の裏がまた熱くなる。

「本当に自分より対象者の幸せを願うか、試していたのだよ…まさか、恋仲になるとは思っていなかったけど」

「茶番みたいな話じゃないか…」

それでも嫌みの一つも言いたかった。

冗談じゃない、俺は真剣に悩んだんだ。

寿命だって何度も縮んだにちがいない。

「ははは、確かにそうかもしれない」

相変わらず、人を馬鹿にしたように笑う奴だと苛立つが、以前のモトとは少し違って悪戯っぽく笑う。

それを見て、俺は何故か懐かしい感じを覚えた。

「でも君も知っただろう、誰かを幸せにするということ、誰かを本当に想うことを…」

「ああ…」

それは確実に学ばされた。

普通の人では、体験出来ないだろうことだ。

自分の命と、大切な人との命を天秤に賭けさせられる。

その時、人は偽善も打算も抜きにして、どんな選択を取れるのかを。

「君は前の恋人の言う通り、その彼女の言う通りの答えを出せたんじゃないか?」

「そうだな」

智の言葉を思い出す。

きっと彼女も同じように、俺の事を大切に思っていてくれた事を改めて感じさせられる。

「でも、わざわざ菅野に言う必要はなかったんじゃないか?」

ギクっとするように、モトは表情を崩す。

こういう態度は珍しい。

「いや、私個人として確かめたかったのだよ」

「個人的に?」

「ああ…彼女の本気を…」

何を言っているのか聞き取れなかったが、モトは少し寂しそうに答えた。

そして、彼女はそのまま破った紙をポケットにしまって、俺らに背を向ける。

「そろそろ、私は御暇するよ」

「あ…」

何を言おうとしたのか、自分でも分からずに彼女を引き止めていた。

「何だい?」

「もう来ないのか?」

「当たり前だ、これでも私は忙しいのだ」

まるで今まで通りと言わんばかりに、死神は「やれやれ」とジェスチャーしてみせる。

「もう来んな」

「もう当分は、私のようなものと会わない方が良いのかもしれないな」

「それもそうだな」

死神になんて会いたくても会えないが、会って良いものでもない。

「それと、君は当分残るかもしれないが、君以外の私と会った記憶は明日には消えているよ」

菅野と葉月のことだろう。

確かに、死神のことを覚えているのも、彼女たちにとっては都合が悪いだろう。

しかし、記憶操作が簡単にできるんだなっと関心もする。

「それじゃ…」

「ああ」

モトが暗闇に消える。

静寂が包むと、示し合わせたかのように菅野が動き出す。

さてさて、今の状況をどう説明したものか悩むが、時間は待ってくれない。

「う…うう…」

「起きたか?」

菅野の目が開くと、彼女は寝ぼけたように状況を理解出来ていない。

「え、私…何で?」

周りをきょろきょろすると、「あれ?あれ?」と不思議そうな表情をする。

直様、自分が俺に抱きかかえられていることに気付いて、彼女は真っ赤になる。

「急に倒れたんだよ、貧血じゃないかな?」

「え、そうかな?」

「一応、病院行った方がいいかもね」

「そうだな…あと…」

恥ずかしそうに彼女が、抱きかかえられていた俺の手を見る。

「あ、えっと、すまん」

申し訳なさそうに彼女は、俺に下ろすように目で訴えるが、何故か俺は彼女を離したくなかった。

この状況を、もう少し味わいたかった。

むしろ、こんなに悩んだんだ。

これくらい役得だろう、なんて考えていた。

「いや、良いんだ」

「もう離しても大丈夫だぞ」

でも、俺は彼女が生きている事が何より嬉しかった。

そして、また新しい朝を彼女と迎えられる事を涙が出るほど嬉しかった。

そのまま俺は彼女を抱きしめる。

「お、おいおい、もう大丈夫だって」

彼女がパニックになって、動揺しているのが声で分かる。

しかし、俺は離れる気はなかった。

「いや、本当に良かった」

そう無意識に零すと、彼女は落ち着いたようにこう言った。

「うん、私は生きているよ」

そして、俺たちはそのまま少しの間抱きしめ合った。