葉月の想い

「いつまでいるんだ?」

気付けば、十二月三十日になっていた。

あれからも、戸松からの電話が何度あったが一度も取らなかった。

葉月はほとんど泊まり込むように、俺の家に居座っている。

そして、日中は俺の部屋で俺の様子を監視している。

今も部屋の片隅で座り込んで、丸くなってボーっとしている。

まるで、一緒に残された時間を黙って眺めているように。

「あなたが本当に死ぬのなら、一人寂しく無いように居てあげているの」

頼んでないが、きっと彼女はそうしたいのだろう。

姉を失い、また目の前で別の誰かが命を失おうとしている。

そんな状況で、彼女は何もせずにいられないのだろうか。

「外に出ないの?」

「いや、家族に手紙でも書いておこうと思って」

「あの死神は?」

「来てない」

そういえば、ここ数日姿を見ていない。

「そう…」

お互いが黙ってしまう。

「そういえば昨日…」

葉月はそう言いかけて、また黙ってしまう。

「何だ?」

「ううん、なんでもない…」

気にはなったが、沈黙が辛くて話を出そうとしたのだが、俺には話しにくい内容だったのだろう。

また二人とも黙ってしまう。

そして、また葉月から口を開く。

「ねえ…もう諦めているの?」

「いや…」

諦めている、というのはニュアンスが違った。

今は自分の終わりを受け入れている、というのが近いだろう。

「怖いの?」

「こ、怖いに決まっているだろう」

たった数日なのに、もう精神状態も限界だった。

残り2日という残された僅かな猶予に、俺はどうかなってしまいそうだった。

だが足掻く事も、何かをしようとさえ思えなかった。

「菅野さんには会わなくて良いの?」

「…もう良いんだ」

これ以上、想い出を作るのが怖かった。

菅野とまた会えば、また生きていたいと思わされてしまう。

このまま彼女の記憶から消えてしまえたら…そんな在りもしない現実逃避の為に、俺は自室に籠っている。

食事などの最低限の生活以外は、勉強だと言って家族からも距離を置いた。

「菅野さんの事、好きなんでしょ?」

「智が教えてくれたんだ」

「お姉ちゃんが?」

「大切な誰か幸せになる時に、他の誰かが傷つくなら、それは自分自身が良いって…それが、相手を想う気持ちだって」

――――でも大好きな人が幸せになるために、傷つくのは自分がいいわ。

あの病室を抜け出した日、彼女はそう言った。

「馬鹿じゃないの?」

その発言者の妹が、予想外の言葉を投げてくる。

「馬鹿って…お前…」

「お姉ちゃんの言っていたことの意味と、貴方が今やっていることは全然違うわ」

「どこが違うんだよ」

感情的になって、俺は立ち上がる。

葉月はそれでも怯まずに、俺の目を真っすぐ見つめて話す。

「貴方は菅野さんの言葉を聞いたの?」

「菅野の言葉?」

「貴方は自分の気持ちだけで答えを出して、自己満足で相手の為だと選択しているだけ」

「こんな話、信じてもらえないだろう」

そうだ、話したところで信じてもらえない。

それに仮に信じたとしても、彼女はきっと俺と同じ迷いが生まれるだろう。

「話して、相手を困らせるのが怖いの?」

「ああ…もしかしたら俺の為に、自分の命を投げ出してしまうかもしれない…」

「でも今会わないで、話もしないで終わらせるのが、貴方の言う『相手の幸せを願うこと』なの?」

「それが悪いかよ…」

「悪いわよ」

彼女の顔が暗くなり、次第に顔が俯いて行く。

「貴方は、貴方自身の幸せを考えていない」

「俺の幸せ?」

「このまま終わって、誰とも話さずに死んでしまって、それで幸せだったって言えるの?後悔はないの?」

「俺の幸せは、菅野が笑って生きていける未来だ」

俺の言葉で静寂になり、彼女がゆっくり

「最後に会いたいとか、話したいとかないの?」

「それは…」

それは菅野に1秒でも会っていたい。

残された時間で話して、一緒に笑っていたい。

だけど、それはきっと彼女にとって辛い時間を増やすだけだ。

「お姉ちゃんを願った貴方が、自分の幸せを本気で考えないなんて…私が許さない」

「葉月ちゃん」

彼女が顔をあげる。

頬に流れる涙に、俺は言葉を失う。

「貴方は自分の苦しみを、彼女に味わわせるつもりなの?」

「俺の苦しみ?」

「お姉ちゃんとお別れも出来ず、ただウジウジ悩んでいたくせに」

「それは、葉月ちゃんたちのことを…」

「そう、私も知らなかった…お姉ちゃんが最後幸せだったことを、最後に笑っていた事を」

あの夜、智の両親に聞かされた真実。

最後に智が幸せだったと、笑って逝けた事が俺の中の救いになった。

「だけど、俺は…これで…」

「そんな辛そうな顔して言われても、何一つ説得力がないよな」

「辛くない…わけなんかないだろう!」

押さえつけていた感情が、胸の奥から溢れて出てくる。

この理不尽な状況に、俺は言葉を叫ぶように続ける。

「何で俺なんだ、何でアイツなんだって…何度も何度も思ったさ。だけど、どうしようもなくて、俺は彼女が生きて幸せになれるなら、自分が例えどうなっても良いと思っているんだ…ただ好きなだけなのに、ただ想ってくれているだけなのに…」

「それでも、このまま終わって良いの?」

もう葉月の涙は止まっていた。

ただ、彼女の視線は俺に一つの言葉を投げ変えているようだった。

――――逃げるな。

突き刺さるような瞳に、俺はそのまま硬直してしまう。

暫しの静寂の後、葉月の携帯が鳴る。

そして、彼女が携帯の画面を見ると、すぐに俺に向き直す。

「明日、八時に駅集合だって」

「何が?」

その問いの返事を聞く間に、彼女に誰から連絡があったか察しがついた。

「戸松か…」

「貴方は、お姉ちゃんと話せなかったことで後悔して、それをまた繰り返すの?」

後悔という言葉が、胸を抉られる。

それは、きっと俺と同じく苦しんで来た彼女の言葉だからこそ、俺はきっと言い返すことが出来ないのだろう。

きっと彼女も、俺と同じく後悔しているのだろう。

だからこそ、その彼女がここまでしてくれたのかと、納得してしまった。

「分かったよ」

観念した言葉を吐くと、彼女が少し優しい笑顔になる。

「最後に、私から貴方に送りたい言葉があるわ」

「何?」

「私は、お姉ちゃんといる貴方のことが好きだったわ」

葉月は少し俯くと、膝を曲げて体育座りのように少し丸くなる。

表情はまるで見えないが、少し上ずって聞こえる声から、泣きそうになっているのだろう。

「私はきっと、貴方がお姉ちゃんと幸せになって、そこには私もいて、お父さんやお母さんがいて、そんな未来を夢見ていたんだと思う…でもお姉ちゃんを失って、貴方を恨むしかなくて…悲しい気持ちの行き場を、貴方に押し付けていたんだ」

彼女の肩が震える。

丸くなって、顔も全く見えないけど、どんな表情をしているか想像はついた。

「ごめんなさい」

俺は彼女の苦しみを少しでも癒す事ができたのだろうか。

きっと、俺らは自分たちの苦しみを形を違えど、表に出すしかなかったのだろう。

俺は自分自身に、彼女は俺に、二人とも不器用に自分の辛さの理由を探していたのだろう。

「お姉ちゃんが最後に願った貴方の幸せが、少しでも叶って欲しいの…だから、後悔しないようにして」

そして、彼女がこうやって話してくれる事が嬉しかった。

俺は彼女の頭に手を当てて、ゆっくり撫でる。

彼女もまた、俺の事を考えてくれている。

そのことが堪らなく嬉しかった。

「ありがとう」

そう一言言って、彼女が顔をあげるまで俺は頭を撫でていた。