恋情シンフォニー

この街の住宅街、俺の家とは反対の海に近い位置にある。

一戸建ての二階建てだが、一階がガレージになっていて実質は二階が一階になっている。

ベージュ色の外壁は少し年期を感じさせるが、デザインからそこまで古さも感じさせない形をしている。

菅野の家を初めて見た俺の感想は、そんなところだ。

そして何故か、俺はその菅野の家の前にいた。

と言っても、これは仕組まれた罠なのだ。

悠木から告白された日の翌日、戸松から菅野とクリスマスパーティーの準備をお願いされる。

しかも、何故か菅野の家にある飾りを使うことまで、勝手に決定されていた。

「雪乃の家に、この前沢山飾りがあったよね、あれ借りれない?」

何も知らない菅野は、そんな戸松の悪巧みに二つ返事。

戸松のリサーチからの謀略までの計算は、流石とも言える。

中世をイメージさせる扉の横には、ベーシックなインターフォンがある。

ここでいつまでも立ち尽くしているわけにはいかない。

近所の人から見れば、明らかに不審人物だ。

思い切ってボタンを押す。

ピンポーン

意を決した指先が、押した後も少し震えている。

荷物を取りに来ただけなのに、どうして緊張しているかと言うと、それは昨日の晩に送られて来た戸松からのメールに遡る。

「告白してしまえ、何なら押し倒してもOKだと思う。検討を祈る」

などと、意味の分からないメールのせいで、しなくても良い意識をしてしまう。

こちらの心境など無視して、インターフォンから返事がする。

「はいはい、どちらさまですか?」

女性の声に、なけなしの勇気を振り絞る。

「長谷部と申しますが、雪乃さんは…」

「涼平か、ちょっと待っていろ」

声の主が菅野ということで、少し安心する。

しかし、いきなりクラスメイトの、しかも女子に家に上がるのは戸松のメールが無くても緊張するものだ。

勿論、戸松の家には度々行くが、戸松はクラスメイトの女子のカテゴリから外している。

家の中から、どたどたという足音が響くと、勢い良くドアが開く。

息を切らした菅野が姿を現すと、何故か面白くなって笑いが込み上げてくる。

「すまん、わざわざ来てもらって…って、何笑っているんだよ」

「一人暮らしじゃないんだから、そんな隠すものもあるまいし、慌て過ぎ」

「五月蝿いな、色々と女の子は大変なんだぞ」

「はいはい」と俺は、手に持っていた紙袋を彼女に差し出す。

紙袋の中には、駅前にあるドーナツ屋のドーナツが入っている。

パッケージで、彼女はそれが手土産だとすぐに気付く。

「気を遣ってもらって、すまないな」

「いや、母さんが持って行けって言うから…」

「ありがとう」

母親に言われたのは本当だが、自分で持って行こうと考えていた。

勿論、今日は菅野という女の子の家に行くことは、戸松と日高という密告者から家族には漏洩済みである。

そのせいで、最近は家での居心地が凄く悪い。

「あがってもらいなさい」

奥から、女性の声がする。

「とりあえず、あがってくれ」

招かれるように家の中に入る。

少し長めの廊下を歩くと、奥にある広い部屋に通される。

ソファとテレビがあり、生活感から客間ではなくリビングだと気付く。

「ここで少し待っていてくれ」

ソファに腰を下ろし、部屋を見回す。

綺麗に整っているところから、彼女の家族がしっかり管理しているのが分かる。

菅野はリビングを出ると、パタパタと玄関横にあった階段に向かい、上の階に上って行く。

「こんにちは」

他に誰かいることに、気付かなかった。

目を入って来たドアと反対に向けると、奥のほうにキッチンとダイニングがある。

十六畳くらいの空間は、キッチン・リビング・ダイニング一体型の部屋だった。

そこから女性が盆を持って歩いてくる。

多分、菅野の母親だろう。

三十代、四十代前半くらいで、俺ぐらいの年齢の子供がいる親の中では比較的若いと思われた。

面影も菅野に近く、彼女と一番違うのに物腰が凄く柔らかそうなイメージだった。

スラッとしたスタイルが、女性としては平均的な身長を高く見せる。

服装もどちらかというと黒のワンピースと落ち着いた色をしていて、親子でだいぶんとイメージの違いを感じた。

「はじめまして、長谷部と言います」

「長谷部君の事は聞いているわ」

会釈をする俺に、彼女は微笑みかけて目の間に腰を下ろす。

近くで見ると、年齢を思わせない綺麗さがあった。

自分の話をされているということで、何故か照れくさくなる。

「コーヒーでいい?」

「あ、おかまいなく」

「何、子供が遠慮しているの」

この母親の笑顔には逆らってはいけない、そんな気にさせた。

「じゃあ、頂きます。」

俺の返事で、まるで子供をあやすように再び笑顔を見せると、彼女はそのままキッチンに戻る。

静かな空間に、ドリップされるコーヒーの音だけが響く。

部屋の内装は外装と同じく洋式で、外見以上に綺麗に保たれていた。

ダイニングとリビングの間にある棚の上に、家族の写真が複数飾られていた。

父親らしき人物は、母親と同じく優しそうな長身の男性だった。

写真に目をやっていると、「はい」とコーヒーがテーブルの上に置かれる。

気付かないうちに、集中していたのだろうか、彼女が近付いていたことに気付かなかった。

「ありがとうございます」

「長谷部君って落ち着いているわね、うちの子に見習わしたいわ」

こういう場合に、どういう反応をするべきか悩む。

菅野が取っている普段の素行を、そのまま伝えて良いものだろうか。

「あの子、学校では暴走していないかしら?」

「それは…」

返事を悩んでいることが、明らかに分かる反応をしてしまう。

そのことに気付いても、もう時既に遅し。

「やっぱりね…結花ちゃんが、いつも言っている通りなのね」

「でも、菅野は…雪乃さんは、クラスを明るくしていると思いますよ」

呆れた顔になる母親に、俺はどうにか安心してもらいたかった。

「滅茶苦茶な事や突っ走る事も多いですけど、それで救われている人間もいるのは事実だと思っています」

何が言いたいのか、自分でも分からなかったが、その暴走で救われている人間も少なからずいることを伝えたかった。

そして、その一人は、俺だった。

下手に必死になりすぎたと思ったが、母親は優しそうな顔で「そう…」と頬を緩めた。

「それに、あれでも生徒会副会長ですから…生徒たちからの信頼もあると思います」

「そうね…私も、何であの子が生徒会なんて出来ているか、不思議で仕方がないのね」

「そんなことないですよ、あれでけっこう学校の代表としてはシッカリしている部分も多いですよ…僕も生徒会ですけど、彼女のがシッカリしていると思わされる事もあります」

何故か言葉に熱が入りすぎていたのか、気付けば菅野のことをベラベラ話していた。

「へえ…」と、そんな俺の面白おかしい様に、微笑みで母親が返すと、何故か急に恥ずかしくなってきた。

誇張表現も勿論あるが、生徒会役員としての菅野の働きには、同じ仕事をして初めて気付かされることや、彼女がどれだけ他の生徒に信頼されているかを思い知らされる。

「夏休み明けから、急にあの子が楽しそうに学校に行っている理由が少し分かった気がしたわ」

嬉しそうにする母親の言葉が、何を意味しているか理解するのに時間がかかった。

それが、自分のことだと理解すると、嬉しいのか照れるのか反応に困った。

「ところで、長谷部君はうちの子と、付き合っているの?」

「へ?」と声にしてしまう。

笑顔で聞いてくる彼女に、どうすれば良いかも分からず慌ててしまう。

「いえ、僕は…」

「母さん」

いつの間にか、真っ赤な顔をして菅野が戻って来ていた。

どこから聞いていたか分からなかったが、さっきの質問は聞いていたようだ。

「あら、雪乃」

「り、涼平はクラスメイトで生徒会が同じだって言っているだろう」

「あら、そうだったわね」

「それより、私にもコーヒー入れて」

菅野は背中を押して、母親をキッチンに押し戻して戻ってくる。

「母さんが…変な事言って悪かった」

「いや…」

変な空気が流れる。

何か言わないと、などと考えてしまうが口かな言葉が出ない。

その空気を壊すようにキッチンから、母親の声が届いてくる。

「涼平君は、今日夕飯食べて行くの?」

「いえ、そこまでは悪いです」

「そう、残念ね…雪乃が涼平君の為に作った、料理があるのに…」

「母さん!」

変な期待をして、何か恥ずかしくなる。

「とりあえず、私の部屋に行くぞ」

真っ赤になって菅野は、立ち上がるように促してくる。

「ああ」

「雪乃、コーヒーは?」

「後で飲む」

「ごちそうさまです」

どたどたと逃げるように、菅野は俺を連れて足早に二階に行く。

二階には三つ部屋が並んでいて、菅野の部屋はその一番奥だった。

そのドアを開くと、六畳ほどの部屋が広がる。

シンプルなデザインのインテリアが多かったが、小物やベッドの上のぬいぐるみなど、女の子らしい物も多かった。

「ごめん、母さんは涼平が来るのを楽しみにしていたみたいで…」

「いや、別に気にしていないよ」

「それより…」

部屋を見回す。

改めて、自分がクラスメイトの女の子の癒えに来たことを、しかも部屋に招かれたことを実感して、緊張する。

右手のベッドに向き合うように、左手に勉強机と思われるものがあり、その上には一つの写真立てがある。

その上には、日高と戸松たちと秋に遊びに行った時の写真が飾ってある。

何故か複雑な気分になる。

その写真は友人たちとの想い出、それとも日高との…そんな感情に、胸の奥が支配される。

「あんまり見るな」

「そんな無茶な事言うなよ」

今更、自分の部屋に招いたことを実感したように、彼女は急に怒りだす。

「意外と可愛いものが多いな」

「『意外』は余計だ」

少し拗ねたように、彼女は口を尖らせる。

確かに、菅野は学校でのイメージはサバサバしたイメージから、女の子らしさを連想されづらい。

しかし、俺はちょっとした持ち物から、彼女がこういう趣向だと以前から知っていた。

「学校でのイメージでは、どちらかというとスポーツ少女というイメージが強いからな」

「そうなんだよな」

「でも確かに、持っている物は意外とファンシーだった記憶があるな」

「お前、なんだかんだ見ているじゃないか」

ずずっと彼女が顔を近づけてくる。

それに俺が意識したことに気付いたのか、彼女は急に赤くなって後ろに仰け反る。

「悪い」

「いや、別に…」

また二人の間に、気まずい空気が満盈する。

何かお互い変だ。

彼女にとっては、親友の片思い相手だ。

元々、仲が良くなったとはいえ、彼女にしてみれば俺はただのクラスメイトだ。

変な勘違いをしてはいけない。

俺は自分にそう言い聞かせると、本題に戻そうとする。

「そういや、クリスマスの飾り付けは何処にあるんだ?」

「ああ、それなら其処の箱に入っている」

部屋の入り口の足下に、段ボールの箱が一つ置いてある。

その箱は、思った以上に大きかった。

「一人で持てるかな?」

「私も手伝うよ」

「それじゃ意味がないだろう」

「そうか」

少し持ち上げてみると、重さはそこまで重くはなかった。

ただ箱自体が大きく、運びにくいという難点はありそうだ。

「無理にでも担いで帰るよ。当日は日高に迎えに来てもらうよ」

「家が近いんだっけ?」

「ああ、戸松も含めて徒歩5分圏内」

何故か俺の答えに、「そうか…」と彼女が歯切れの悪い返事をする。

今日の菅野の態度は、いつもより変だ。

「それじゃ…」

―――今日は早々に帰った方が良さそうだな。

そう思い、箱を持ち上げて立ち上がると、彼女が俺の上着の裾を持ってくる

「あのさ…」

もじもじして、何か言いたそうにする。

「何だ?」

「明日、暇か?」

「ああ、これと言って用事はないけど」

「ALJのチケットがあるんだ」

「そうか…他に誰か誘うか?」

彼女が言いにくそうにする理由を考えてみた。

また皆を誘って行きたいということだろうか、それとも何か他意があるのか。

彼女なりに、まだ俺と悠木の仲を取り持とうとしているのか。

「チケットは2枚だけなんだ」

「えっと…」

「行くのは私と涼平だけだ…」

彼女の言葉の意味を理解すると、急に顔の温度が上がる。

まるで、それはデ…。

混乱する俺の顔も見ず、彼女は強引に話を進める。

「9時に駅前集合」

「ああ…」

その真意を確認出来ず、俺はまだ頭の中が整理出来ないでいた。

ただ、彼女は何かを変えようとしている。

今、彼女が一方的に約束を取り決めたのだ。

その答えは、今確認するべきではないだろう。

自分の心の整理もしたいので、俺は今日は帰ることにする。

「それじゃ、そろそろ帰るよ」

「そうか」

ドアを開くと、菅野の母親がコーヒーを持って運んできていた。

「あれ、もう帰るの?」

「ええ…荷物を取りに来ただけなので」

「残念ね」

「また来てね」

「はい、お邪魔しました」

そのまま菅野に玄関まで見送られて、俺は菅野家を後にする。

しかし、最後まで彼女は少し俯いたままで、目を合わせてくれなかった。