冬空リリックス

そんな茶番劇を繰り広げいている間に、夕飯時になり俺は味も分からないまま料理を口にする。

向かい合う妹の隣には、俺の性癖を知っている母親が笑顔を浮かべている。

そう思っただけで、まるで弱みを握られている感覚になる。

気のないまま食事を終えて、書物の隠し場所を検討していると呼び鈴がある。

時計が目に入ると、7時を少し過ぎていた。

妹が「はいはーい」を玄関に向かうが、呼び鈴の主はこちらの応対を待たずに侵入してくる。

「お邪魔します」

戸松だと、声ですぐ分かる。

家が近いこともあって、戸松と日高は少し遅くなっても遊びにくる。

特に夕飯を食べ終わると、遊びに来て翌日まで一緒にいるなんてこともよくある。

すぐに、日高と戸松がリビングに顔を出す。

「不法侵入だ」と言う俺の言葉を無視して、戸松はリビングのこたつに座る。

「香澄さん、お久しぶり」

真帆が戸松の横にちょこんと座る。

そういえば、こいつは戸松を慕っているのだったな。

「真帆っぺじゃないか」

「うちの妹に変なあだ名、つけないでくれますか」

「リョウの家も久々だな」

戸松がリビングを見回す。

「夏休みは嫌ってほど来ていたのにな」

「香澄さん、今日は泊まって行くの?」

「どうしようかな」

真帆の質問に考える仕草をして、ふと日高と目を合わせて質問を投げた。

それに日高は笑顔ですぐに返す。

この二人は、こうやって上手に付き合っているのだろう。

普段から傍若無人な戸松だが、きっと日高にだけは甘えているのだろう。

「うん、いいよ」

「やったー」

「いつも思うのだが…日高はともかく、何で女のお前の寝間着が用意してあるのだ、この家は…」

「細かい事は気にしない」

いつも疑問だった。

何故か、戸松と日高が泊まりにくると、布団は勿論生活出来る環境がある。

そういえば、俺も二人の家に行くと同様な待遇が待っていた。

「お兄ちゃんがお年頃なんですよ」

「今更、戸松が全裸で歩いていても、何も感じないと思う」

「リョウって、たまに凄く酷いことを言ってくるね」

お前には負ける、と言いかけて止める。

しかし、本当にこの戸松は真帆と同じく家族という感覚が近い。

「そういえば、香澄さんと日高さんって付き合っているんですよね」

「あ、ああ」

何故か珍しく戸松が照れている。

こういう身内からの揶揄いに、耐性が付いてないのか。

良い弱点を手に入れた。

そんな意味不明な喜びを感じていると、妹が地獄の底に突き落とす。

「お兄ちゃんにも分けて欲しいですよ…さっきも恋の話を…」

「お前、何話しているんだ」

俺は慌てて真帆の口を閉じる。

しかし、勿論のことだが時既に遅し。

戸松の耳に「恋」という単語が耳に入る。

その次の瞬間、彼女が立ち上がり俺の退路を塞ぐ。

そして俺との間合いを詰め、小声でこう言ってくる。

「リョウ、部屋でじっくり聞かせていただこうか」

肩に手を回されて、ずるずると自室に引きずられる。

こいつはチンピラか何かか。

そのまま凄い力で、自室に放り込まれる。

尋問部屋に入れられる囚人の気持ちって、こんなんだろうか。

「で、どうなんだい?」

地面に座り込む俺を見下ろすように、戸松は椅子に日高はベッドに座る。

「何の事だ?」

「ネタは上がっているんだ、そろそろ白状したら楽になれるぞ」

「刑事ドラマも見過ぎだ」

電気もデスクの上だけの照明を付けて、薄暗くして雰囲気を出してやがる。

何か、ここまで来ると楽しんでいるようで素直になりにくくなる。

「涼平は、菅野さんの事をどう思っているんだ?」

三文芝居にピリオドを打つように、日高が言葉を放り込んでくる。

しかし、その前振りを完全に無視した発言に、俺と戸松は反応できずにいる。

「おい、お前の彼氏は時々、直球すぎて反応に困る」

「ああ、ボクもそれは否定出来ない」

「で、涼平は好きなの?」

「分からん」

さっきまで認めていたが、こう直球で来られると認めるのが怖くなる。

それに二人には、当事者たちを知っているからこそ言いにくい面もある。

「何だ、その煮え切らない回答は」

「好きかもしれない…でも、まだ自分でもハッキリと答えが出ていないんだ」

「そうか」

濁した返事をしたはずなのに、何故か戸松が嬉しそうにしていた。

「智の事を忘れたとかじゃないけど…」

我ながら言い訳っぽい言葉を付け足す。

二人はさらに智のことを知っている。

「ううん、良い事だと思う」

「今晩は盛り上がりそうだね」

少しでも前を向こうとしている。

その姿勢が二人はに、嬉しく感じているようだった。

戸松も日高も、ずっと俺のことを心配してくれているのが分かっていた。

真帆と違って、彼女たちはきっと俺が菅野を好きになってほしいのだと思う。

だからこそ、簡単に彼女が好きだという答えを、二人には言いたく無かった。

「朝まで恋バナかー、ボクたちって青春しているな!」

「もう話す事などない」

「好きかなんて直感だよ」

「お前もか?」

戸松の顔が真っ赤になる。

相変わらず自分のことになると弱い。

「何を言わす気だ」

このことで当分揶揄えそうなので、ニヤニヤが止まらない。

「ボクらの付き合い自体は長いから、参考にはならないだろう」

確かに彼女の言うことも一理ある。

日高も戸松も幼なじみで、家族に近い存在なのに恋人になった。

しかも、きっとお互いを異性として認識してだ。

さっきも思ったが、俺は戸松をまったく異性として認識していない。

学校では女子枠に入る、というくらいで、母親や妹の性別が女性ということと同じである。

日高もそれくらい近い距離なのに、二人は意識し合い付き合い始めた。

何があったか分からないが、きっとその過程は俺のケースとは確実に異なる。

「でも、リョウは雪乃と他の人とでは明らかに態度が違うよ」

「そうかな?」

前にも言われた気がするが、特に意識したことは無かった。

確かに、クラスの他の女子とは違うけど、戸松とはそこまで大差はないと思っている。

「智の事以外で、何か障害があるのか?」

「いや、特には…」

「それなら気にせず、ガンガン突き進めばいいだろう」

「前を吹っ切って、すぐに次にって何か軽くないか?」

「考え過ぎだろう」

「涼平は前に進むと決めたんだろう…だったら遅いとか早いとかはないと思うけど」

二人が前に進めと、背中を押してくれている。

逆の立場でも、きっと応援しただろう。

「アイツもまだ失恋してすぐだし…」

日高の前では言いにくかったが、口実を作る為に投げかけてみる。

「何ヶ月も前の事だろう…もう忘れているよ」

しかし、それも簡単に戸松に言い切られる。

「涼平は菅野さんの事をどう思っているの?」

「どうって?」

日高の表情がいつになく真剣で、まるで「これ以上、誤摩化すな」と言われているようだった。

「好きとかじゃなくても良いから」

少し考えて、思っているままに口にしてみる。

「一番一緒にいて安心する相手…かもしれない」

「菅野さんって、リョウから見てどんな人?」

「どんなって…五月蝿くてオーバーリアクション過ぎて、周りを見ずに突っ走ってしまう事も多いな…あと平気で無神経な事を言って来たりする」

「けっこう酷い言いようだな」

「でも、誰よりも他人の事に一生懸命で、辛くても心配かけないように笑顔でいるような、不器用な奴だよ」

「リョウ…」

何故か、戸松が今にも泣き出しそうな顔で俺を見ている。

そんなことも気にせず、日高の質問は続く。

「そんな部分を涼平はどう思う?」

「他人のためじゃなくて、自分の為に笑顔になってほしい…笑顔にしたいと思う」

「もう答え出てるじゃん」

戸松の言葉にハッとする。

「そんな事は無い」と否定するが、自分でも今の発言が何を意味しているか理解していた。

「こんな想いを持つ資格がないとか、そんな事をまた考えている?」

「いや、そうじゃない…でも傷つけたく無いって思うから…」

「それは雪乃を?」

「うん」

自分の内面を話すことが、こんなに恥ずかしいとは思わなかった。

智の時は、ここまで自分の気持ちを他人に話していなかった。

「それはね、リョウが雪乃のことを大切に思っているからだよ」

そこに戸松な意外な言葉で、目を丸くする。

それはあまりに的確だったからだ。

「大切じゃない相手が傷つくことなんて気にしないだろう?」

「それは友達でもそうだろう…現に俺はお前らが傷つくのは嫌だ」

「何か気持ち悪いけど…一応、礼を言うよ」

さらっと酷いことを言いながらも、彼女は少し照れていた。

そこに、切り替わるように日高が口を開く。

「でも涼平は自分が傷ついても菅野さんには傷ついてほしくないって思っているんだよね」

「ああ」と俺は頷いて返す。

「その時点で、涼平は菅野さんを何より大切にしてるってことだろう?」

「リョウはウジウジ悩み過ぎなんだよ」

「五月蝿い」

僕の返事と共に戸松の表情が真剣になる。

さっきまでと違った真っすぐな瞳から、僕は目を逸らせないでいた。

薄暗くついたライトに、彼女の綺麗な顔がハッキリと見える。

黙っていれば美人なのになど、この空気では言い出せない。

「結局、リョウは自分が傷つくのが怖いんだよ」

畳み掛けるように彼女は、僕の深層心理を解き明かす。

「結花のことは自分が悪者になるのが、雪乃には傷つけることではなくて、傷つけてしまう自分が嫌なんだよ」

「そんなことは…」

ない、とは言い切れなかった。

モトや真帆に言っていたことも、自分で思い出す。

最後には、悠木のことを理由にして行動することから逃げている。

「たとえ、そうであっても俺はどうするべきか…」

「結花と向き合うこと」

「ああ…」

これはどうやっても通らないといけないだろう。

「それから…」

「それから?」

「雪乃をデートに誘っちゃえば?」

「デート?」

思った以上に、意味不明なアドバイスが出たものだ。

悠木の時とは違って、やたらに具体的すぎる提案に疑問を感じる。

「ああ、雪乃がALJのクリスマスイベント行きたいって言っていたよ」

「クリスマスイベント?」

「イルミネーションやら、期間限定のアトラクションや料理もあるらしいよ」

なるほど、確かに告白とかの前に彼女の気持ちを確かめるフェーズは欲しい。

その為にも彼女の興味のあることで反応を見れば良い、そう言いたいのだろう。

「じゃあ、みんなで…」

「「愚か者」」

二人が口を揃えて罵って来た。

「そんな口を揃えて言わなくても」

「二人っきりで行って来なよ」

「いやいやいや、いきなり二人っきりで誘うなんて無理だろ」

それでは、いきなりデートに誘っているとバレバレではないか。

元々、気持ちを気付かれないように相手の気持ちだけを確認しないと意味が無いはずだ。

「普段、あれだけ放課後にお茶して帰っているくせに」

「う…確かに…」

以前にも揶揄われたのに、今回は無性に恥ずかしくなる。

最近では、お互いが帰りが一緒になると自然にカフェで話して帰るようになっている。

カフェ以外にも本屋や、帰りに少しの寄り道をしているのだが、この二人に更に揶揄われるので発言を控えた。

「もう外野から見ていると、普通にカップルだと思うくらいだよ」

「そ、そうか…」

何か他人から言われると、不思議と嬉しかった。

「それに、ボクの見立てでは雪乃もリョウに惹かれていると思う」

俺は「は?」と声に出していた。

また戸松の意味不明な見立てが出た。

「日高まで、何で頷いているんだ」

「だって、菅野さんって涼平には何でも話すじゃないか」

「それだけじゃないか…根拠が無さ過ぎる」

「ボクの勘」

一番当てにならない根拠だった。

戸松なら菅野から何か聞いている、なんて淡い期待を抱いていた。

「とりあえず、二人でクリスマスパーティーの幹事をやれ!」

「いきなりだな」

また急に話を変えた提案…ではなく命令をしてくる。

しかし、戸松という人間はジェットコースターみたいと誰かが言っていたが、その意味が理解出来た。

「雪乃にはボクから言っておく」

「クリスマスパーティーが、いきなりという話なんだが」

「修学旅行の時に言っていたじゃないか」

確かにそんな話題があったような気がした。

あの時は、俺の精神状態も普通ではなかったので、そんなことシッカリと記憶している余裕もなかったのだ。

「そういうことだけは記憶力が増すんだな」

「そこで、二人で親密度を高めてデートに誘え」

「だから、無理にくっつけようとするな」

幹事にデートなんて、明らか不自然だ。

「菅野はこういうことには繊細なんだから…」

「リョウがウジウジ悩んでて、動かないからでしょう…それにしても聞きました、進さん」

「ええ、香澄さん…彼女は繊細とか、気遣いが恋する男ですな」

急に前で、俺の発言の揚げ足を取る漫談が始まる。

こいつらは辱めて殺す気か。

「例え、百歩譲って菅野のことが好きだったとしよう…だが、それが付き合いたいとか、そういうのを考えてはいない…まだ」

事実、『まだ』というのは本当だった。

今のこの部屋にいるかもしれない死神との契約、それを達成するまでは前に進むことに今でも躊躇いはある。

「健全な男子高校生が、なんて消極的な!」

「お前は、男子高校生に過度の期待をしていないか?」

「付き合って、イチィチャして、その本棚のブックカバーがついたエロ本のようなことがしたいんだろう?」

「何で、お前はそんなことを知っているんだ?」

「でも、そういうことを考えちゃうだろう?」

「いや、俺はそんなこと…」

考えないと言えば嘘になる。

京都の一件以来、毎日考えてしまっていた。

ただ、具体的にどうなりたいとか考えたことは少なかった。

「雪乃って可愛いよ、だからすぐに他の誰かに取られちゃうかもしれないよ!」

「それでも良いかって…俺は、アイツが笑えるなら良いやって思える」

そう、自分でもハッキリしていることがある。

菅野には幸せになって欲しい。

これは恋と呼ぶのだろうか、なんと言う名前の感情なのだろうか、ただ心からそう思う。

最初は死神がきっかけだったが、今でもそれを除いてもそう思える。

「リョウは本気で、そう思っているの?」

「ああ」

「じゃあ、リョウはその程度しか雪乃のことが好きじゃないってことだよ」

「どうなんだろう」

独占欲はないのか?

そう聞かれているのだろう。

ただ、今の俺は自分の状況がどうであれ、彼女が幸福になることを望んでいる。

独占したいか、どうなりたいか、今はハッキリしない。

その程度の感情なのか…明確にならないものばかりが、頭の中を渦巻いている。

考え込んでいる俺に、珍しく戸松は優しく言葉をかける。

「でもリョウが前を向いて、誰かに想いを寄せているのは良いことだと思うよ」

どれくらい好きか…結局、その夜はずっと恋愛談義を続けたが、それは答えが出ないままだった。

 

 

そんな心境をおかまい無しと言わんばかりに、菅野は翌日の放課後にカフェに誘ってくる。

そこで断る理由を思いつかずに、俺は不自然にならないように首を縦に振っていた。

しかし、心の中では整理出来ないまま、自分自身が感情の答えを要求してくる。

気付けば、カフェに着いていて、すぐに菅野は家からの電話で席を外した。

その間、頼んだカフェオレを喉に流し込んで、自分を落ち着かせる。

それでもなかなか冷静になれないでいると、彼女が急いで戻ってくる。

「すまん、遅くなった」

「いや、そんなに待っていないよ」

菅野は母親と二人で暮らしていると、この前聞いた。

父親は、彼女が幼い時に亡くなっているらしい。

最近では、お互いのプライベートの話をするようになった。

気になる相手かどうかは別として、俺らは少なくとも気軽に自分を話せる間柄にはなる暗いには信頼関係ができていた。

「まさか、いきなり香澄から『クリスマス会の幹事をやって』と、お願いされるとは思わなかった」

「忙しいなら断っても良かったんじゃないか?」

今日の朝、いきなり戸松はクリスマスパーティーの幹事を俺と菅野に任命した。

昨晩の話の流れで俺は理解していたが、菅野は急な話で飲み込むのに時間がかかっていた。

しかし、それでも彼女は引き受けてしまうらしい。

「香澄だって忙しいだろうし、涼平がいるから大丈夫だろう」

「え…っと」

そう言われると照れてしまう。

そして、口にした相手も自分の発言の不用意さを理解して、目の前で慌てている。

なんだか気まずい。

「俺はどちらかというと、暇していたしな」

「ピアノは、もうやらないのか?」

「悩んでいるよ…ただ、やるとしても来年からになると思う」

「何かあるのか?」

お前だ、とは口が裂けても言えない。

ピアノも、菅野のことも全てが中途半端な気持ちのままだった。

「いや、気持ちの問題だ」

「そうか…」

申し訳なさそうにする彼女に、俺は話を切り替えることにする。

「それより、クリスマスの話しよう」

「そうだな」

「クリスマスパーティーとか漠然としているんだよな」

「確かに…結局は、私たちだけになると思うし…」

参加しそうなのが、俺と菅野、日高、戸松、悠木…あと数名くらいだろう。

パーティーと言っても、いつものメンバーで口実を作ってワイワイやるだけである。

そもそも幹事なんか必要があるのだろうか。

「戸松も、日高と二人で過ごせば良いのに…」

「そうだな」

俺は自分の発言にハッとする。

相手が日高のことを好きだった菅野だということを、すっかり忘れていた。

しかし、彼女は自然に笑っていた。

それを見て嬉しい気持ちもあったが、不思議と切なくもなった。

「もう、大丈夫なんだな」

「え…」

少しして俺の言葉の意味を理解すると、彼女は小さく頷く。

「うん、今では平気」

そして、優しい笑顔になる。

さっきとは違い、何故かその笑顔には安心させられた。

「良かったな」

「これも、涼平のおかげだよ」

改めてお礼を言われると、照れくさくなる。

結局俺は、彼女に何もしてやれてなかったんだと、後々で悔やんだ部分もあった。

だけど、こうやって言われると、少しでも支えになれたようで救われた。

「そうか…」

「涼平は、もう大丈夫なのか?」

「何が?」

「智さんのことだよ」

少しギクリとする。

別に智のことを完全に吹っ切れたわけではなかった。

ただ目の前の問題に、自分の中で一つの答えは出ていた。

「ああ、おかげで今ではすっかり『智の分も幸せにならないと』って、思えるようになったよ」

「それは良かったな」

そうだ、菅野への感情は別として、彼女は俺に『前を向くこと』を教えてくれた。

その彼女が、目の前で不思議な態度を取っている。

何か言いたいのだろうか、少しずつ言葉にしていく。

「涼平は…その…クリスマス過ごす相手とかいるのか?」

俺がその言葉に驚くと、彼女は慌てて「いや、深い意味は無いんだ」と付け足す。

その発言に俺は少しドキッとしたが、その意図に気付く。

ああ、そうか…悠木さんか…。

明らかに落胆している自分がいた。

「いないよ、さっきも言った通りの暇人さ」

「そうか…」

曖昧なやり取りになる。

彼女も俺に誤解させないように、苦笑いで誤摩化す。

「そんな菅野はいないのか?」

「私か?」

「日高のこともスッキリしているようだし…」

「私は…いないよ…」

何故か少し考えたような言葉で、ハッキリと答えなかった。

「どうした?」

「ううん、なんでもない」

すぐにいつもの笑顔に戻すが、俺は知っていた。

それが、彼女が無理している時に、いつもする笑顔だと。

「涼平は自分が幸せになれるとして、その代償として日高君や香澄が不幸になるとしたら、どうする?」

「どうするって…どういう意味だ?」

クリスマスの予定から、突拍子もない話に転換されたこともあってか、急に切り出された質問の意味が、理解出来なかった。

「例え話だよ」

「例えばか…二人が不幸になるって、どの程度だよ」

「二人が別れる…とか」

いまいち例えにする理由も、それが何を示しているのかも分からなかった。

ただ、多分それは日高や戸松に関係する話ではないだろう。

でなければ、ここで彼らの名前は出てこない。

「それは、難しい質問だな…」

俺は少し考える。

漠然とした内容だけに、俺はこう答える。

「ちゃんと話し合うかな」

「話し合う?」

「ああ、二人と向き合って決めることだろう…自分が幸せになる為に誰かを傷つけることは、よくあることだとしても、大切な二人だからこそ勝手に決めてはいけない気がする」

「…なるほど」

菅野は何やら煮え切らない反応をする。

きっと彼女に置かれた状態は、それを許さないか、それでは解決出来ないのだろう。

しかし、今の俺にはこの例え話には、こう答えるしかなかった。

そして、俺は「自分の幸せを捨てたら、後で凄く怒られそうだしな」と付け足す。

俺の言葉を聞いて、また彼女は強がりの笑顔を見せる。

「香澄とか、一晩中説教しそうだな」

「確かに」

こんな表情しか、彼女にさせられない自分の無力さに切なくなった。

俺は踏み込んでみることにする。

「どうして…どうして、この質問を?」

恐る恐る聞いた投げかけに、彼女は硬直する。

ただ無言のまま、もっと曇らせることになる。

そして、更にもう一歩踏み込もうとする。

「おい、帰りの寄り道も程々にしろよ」

その勇気を圧し折るように、言葉を遮られる。

言葉を飲み込んだまま俺は、声のする方向に視線を向けると、沢城が立っている

「さ、沢城…先生」

思いもよらぬ乱入者に、『先生』と付けるを忘れそうになる。

「相変わらず、お前らはセットだな」

「と、言いながら、隣に座らないでください」

ずいずいと俺の隣の座席に座り、端に追いやってくる。

沢城はシックなグレーのジャケットにダークブルーのタイトスカートで、いつもより少し整った恰好をしていた。

「私はもう勤務時間が過ぎている、ただの一般社会人だ」

プライベートのがシッカリした恰好というのも、考えものだと思うが。

そう思っている間に、彼女は店員に「ホット・カフェオレ一つ」と注文する。

長居する気か…。

「その一般社会人の沢城さんが、俺らに何か用ですか?」

「いや、もうお前らがくっついたんじゃないかって、思ってな」

何を言い出すのかと思いきや、現在俺の中のホットな話題をわざわざ放り込まないないで欲しい。

「くっついていません…そんな人を磁石みたいに、言わないでください」

自分の声が今にも上ずりそうになるのを、必死で冷静を装う。

ははははと、沢城は悪びれもせず笑う。

どいつもこいつも、俺と菅野をくっつけようとしているのか…。

そこまで悪い気もしないが、今の俺らは少々微妙な関係である。

そこで、あまり外からの刺激は悪い方向に転びかねない。

「いや、なんとなく…」

滅茶苦茶だ、この人。

「菅野が珍しく真剣な顔で話しているから、ちょっと気になってな」

「そうですか?」

急に話を振られた菅野が、「え?」と声を零す。

その彼女に視線を向けると、何故か真っ赤になって目線が泳いでいる。

今彼女が、何に赤くなっているのか理解出来なかった。

「えっと…私、ちょっと用事があるから先に帰るな」

「おい、菅野!」

そのまま彼女は、忙しなく荷物をまとめると代金を机に置いて立ち上がる。

「クリスマスの話は明日…」と、静止する間もなく店を出て行く。

取り残された俺らは、暫し呆然とする。

「くくく、お前らは本当に面白いな」

「言っている意味が分かりません」

隣で不気味な笑いを零す女教師に、少し不快感を覚える。

こういうとき、何故か当事者よりも彼女は先に理解していることがある。

「君は、菅野のことをどう思っているんだ?」

この質問が最近のブームなのだろうか。

何度もされて、俺は今は自分の内心を話す相手を選んだ。

「どうって…ただのクラスメイトですけど」

今のところ、戸松と日高、家族以外には話さないでいようと思った。

この人は歩くスピーカーでもある。

戸松は、そこらへんは信用出来る。

「では、彼女が告白して来たら、そう答えるんだな?」

告白?

その言葉で、俺は硬直する。

彼女が俺に告白してくるなど考えたことも無かった。

そもそも、そんなことはあるはずはないのだから。

だって、彼女は…。

「お前はただのクラスメイトで、恋愛対象なんて微塵にも思えないから付き合えない…そう言うんだな」

「何か、誇張表現入っていませんか?」

思考を遮られるように沢城は茶々を入れてくる。

しかし、その例え話は今の俺には少し返答しにくい投げかけだった。

「長谷部」

「何度聞かれても同じですよ」

「最終的には素直になれない奴が、一番損をするんだよ」

「別に俺は…十分素直ですよ」

素直になれ、と言われているが実際の所、俺は彼女への気持ちはまだ明確になっていない。

「たとえ、俺が菅野を好きであっても、俺はこれ以上何かを求めたりする気はありません」

「どうして?」

「その行動で誰かを傷つけたり、その周りの人間も巻き込んでしまう…」

「現状を変えたくないと…」

「色々ややこしいんです」

「悠木か…」

ギクリとする。

この沢城という人間は、やはり危険すぎる。

ここで下手なことを言わないように、強引に話を元に戻す。

「俺は彼女が幸せなら、それで良いんです…それは、もちろん友人として」

「だから、ただのクラスメイトのままでいると…?」

「ええ、現に俺は彼女に友情以上の感情を抱いているか、自分でもまだ分かっていませんから」

俺の言葉に、沢城が珍しく深い溜め息をする。

いつもの冗談まじりではなく、今の表情は呆れている顔だった。

「ここまでヘタレになっているとはな」

「ヘタレじゃありませんよ、これが自分なりの結論です」

「手を繋ぎたいとか、抱きしめたいとか思わないのか」

考えたことがなかったが、そういうのを具体的に想像していなかった。

今は彼女のことをどうするか、どう大切にするかだけ考えていて、そういう願望的な思考には行き着いていなかった。

だからこそ、ここはハッキリと答えられる。

「思いません」

「キスしたいとか、身体に触りたいとか…」

「思いません!」

「本当に君は十代の高校生かい?」

「先生は高校生に夢を見過ぎです…最近の高校生はこれくらいなんです」

などと、キャルチャーギャップで押し通そうとするが、勿論嘘だ。

クラスの男子とは、そういう話題で盛り上がることも多い。

「君は本当に馬鹿だな…では、他の誰かに彼女を取られても良いと言いたいんだな?」

誰かに取られるという発想は無かったが、ずっと俺は彼女には幸せになってほしいと願っていたのだ。

それは自分の命もかかっていることなので、当然のことだろう。

「はい」

俺の返事に、沢城の表情が少し悲しそうになる。

店員がカフェオレを持ってくると、彼女は無言のまま立ち上がり、隣の席から向かいの菅野が座っていた席に座る。

「先週、菅野は三年の沼倉に告白されていたな」

いきなりの話で、反応することもできない。

沼倉と言えば、三年で人気のある元サッカー部のエースだ。

ルックスも良く文武両道で、有名大学の推薦が決定していると噂だ。

「もしかしたら付き合うかもしれないな」

俺はそのとき、これがブラフであると推測した。

この話で俺の反応を見て、それで何かを引き出そうとしている。

「へー良かったじゃないですか…」

チラッと沢城の顔を見るが、こちらの様子もおかまい無しに話を続ける。

「沼倉はテニス部の元エースだしな、女子にも人気あるはずだ」

「そうですか、菅野もこれで幸せになれるはずですね」

「嘘だと思っているだろう?」

「ええ」

再び、沢城が深い溜め息をつくと、持っていた鞄から一つ手帳を出す。

そして、数ページ捲ると、自分が探していた情報があったのか少し黙読して一部を声に出す。

「沼倉浩平、三年。身長175センチ、体重60キロ、視力は両目1.0、元サッカー部でポジションはミッドフィルダー、中学時代は不特定多数の彼女がいたが、高校に入り元サッカー部のマネージャー加藤美咲に知り合う。そして、片想いの末に付き合うことに…しかし、三年に上がる前に加藤が浮気をしてしまい破局。そして、最近一つ下の後輩であり生徒会副会長の菅野雪乃に恋い焦がれ、十一月二十九日の放課後に告白する。現在、返事を待っている。」

「何ですか、その手帳は…まさか…」

俺は言いかけて止める。

「知りたいか?」

高速で首を横に振る。

知ってはいけないものが、あそこには記されているに違いない。

「信じたか?」

「信じましたけど、それでも俺の意見は変わらないですよ」

「君は、本当に馬鹿だな」

確かに、今の俺は菅野がきっと好きだろう。

だが、何もしない、何も求めない、そう彼女には映っているのだろう。

でも、俺はここで俺だけの気持ちで突き進んではいけない、と思っている。

「俺一人の問題じゃないでしょう?」

「それが馬鹿を通り越して、愚かだと言えるな」

「何か怒っています?」

「当たり前だ、君がここまで強情だとは思わなかったよ」

カフェオレを飲み干すと、沢城が席を立つ。

珍しく、彼女が苛立っているのが分かった。

「もう少し、ここでゆっくり考えたまえ…君にとって、彼女はどういう存在かを」

そのまま伝票を持って、彼女は鞄を抱えて足早に店を出て行った。